日本製鉄のUSスチール買収が膠着状態になっている理由は?ワシントンが親中派企業に抱く「安全保障上の懸念」
米国が「鉄」に敏感な理由
日本では今回のUSスチール買収への反対を、「大統領選前の政治問題」として片づける見方が多いようだ。しかし、事態はそんなに単純な話なのか。 日本でも近年、経済安全保障を重視する動きが広がっている。2022年12月20日には、内閣府が経済安全保障推進法が定める「特定重要物資」として、半導体や蓄電池など11の物資が指定された(図表3)。 この重要物資を見ていくと、リチウム、ニッケル、コバルト、マンガンといった「重要鉱物」は鉄と混ぜて精錬することで合金鉄を作る素材。「航空機部品」、「工作機械・産業用ロボット」、「永久磁石」、「船舶部品」といった重要物資の主な原材料は鋼材ゆえ、鉄鋼生産はこうした重要物資の「サプライチェーンの上流」に位置していることが確認できる。 ■安全保障上のチョークポイントとしての「鉄」 こうしてみると、鉄鋼の供給は食糧やエネルギーと並び、滞れば命に関わる「安全保障上のチョークポイント」といえそうだ。日本の粗鋼生産は年間約8900万トンと需要の同約5500万トンを大きく上回るため(2022年)、日本の鉄鋼生産能力を心配する人はほとんどいないだろう。 しかし、米国ではその需要を国内生産では賄い切れない状態にあり、世界最大の軍事大国の屋台骨を支えるには、心もとない状況が続いている(図表4)。 ふんだんな供給力を持て余す日本からすると想像に難いが、鉄鋼製品は米国にとってその軍事力を維持する上で欠くことができない「重要物資」かもしれない、と言ったら言い過ぎだろうか。
日本人が無自覚なワシントンの視線
少しばかり地政学に類する話題になるが、安全保障を考える上で重要な鉄鋼製品は、船舶、航空機、軍用車両、ミサイルなど、主要な国防装備の原材料だ。 例えば、ニミッツ級航空母艦ジョージ・H・W・ブッシュには水兵6000名が乗艦し、その製造には実に4万7000トンの鋼材が使われていると言われている。 そして、空母の心臓部には2基の原子炉が搭載されていて、敵の攻撃から船体を守る構造部分の鋼板の厚みや強度、そして砲撃への耐性(Ballistic penetration)は軍事機密でもちろん非公開だ。 第二次世界大戦のハイライトであるノルマンディー上陸作戦で活躍した、揚陸艦の大増産に貢献したことで知られるUSスチールだが、同社の内部情報には安全保障上の機密が含まれるのは当然かもしれない。 そう考えると「経済的理由だけで外国企業に買収されるわけにはいかない」と考える米国人がいても、納得感があるだろう。 ■ワシントンの目に映る日本製鉄 米国と同盟関係にある日本を代表する大企業の日本製鉄が、「安全保障上の懸念」で今回の買収から排除されたとしたら、不可解に感じる日本人が大多数ではないか。しかし、米国の視点から日本製鉄を眺めると、その印象は少なからず違ったものとなる可能性がある。 少しばかり話は横にそれるが、時事の話をさせていただく。日本製鉄は、合併前の旧新日本製鐵(新日鐵)時代に、中国の周恩来首相や鄧小平副総理の要請を受けて、中国宝山鋼鉄の最新鋭の高炉建設を全面的に支援した。 その後、宝山鋼鉄が製造する鋼材は中国の高度経済成長をけん引することとなるが、こうした貢献が感謝されたこともあってか、日本製鉄と中国との親密な関係は長期にわたり続くことになった。 ■モンスターの生みの親 21世紀に入り、中国の工業化が急速に進展すると、2004年には新日鐵と宝山は合弁で自動車向け鋼板会社を設立する。そして、今年8月に合弁が解消されるまで約20年にわたり、共同で世界トップの規模に発展する中国の自動車産業を支えてきた。 現在、宝山鉄鋼は世界最大の鉄鋼メーカーだが、インフラ整備や自動車生産だけでなく、その鋼材で中国の急速な軍備拡張にも貢献している。そんな「モンスター」ともいうべき宝山鉄鋼や中国鉄鋼業界が大きく成長する過程で、日本製鉄が果たした役割は大きかったように思われる。 こうした日本製鉄と中国の「長く、深い」付き合いから、日本製鉄の元経営トップは、日中友好会館の理事や日中経済協会の名誉顧問を務めている。また、最近まで同社の最高幹部を務めた取締役の一人は、日中経済協会の会長職にあって、日中間の経済外交の第一線で活躍している。 例えば、2042年1月25日、日中経済協会は経団連や日本商工会議所と共同で、日本経済界訪中団を率いて北京を訪問。人民大会堂で李強首相に謁見(えっけん)している。 また、今年9月26日には中華人民共和国成立75周年祝賀レセプションが都内のホテルで開催されたが、日中経済協会の会長は鳩山由紀夫元首相、公明党の山口那津男代表(当時)、社民党の福島瑞穂党首、日中協会の野田毅会長、日中友好議連の小渕優子事務局長らとともに、主賓の一人として招待されている。 ■日本にとっての「当たり前」が米国に通じるとは限らない 中国と近しい関係にあるとされる政治家が揃う注目されやすい会合に、日本製鉄を代表する人物が参加していることについて、対中強硬姿勢を強める米国政府・軍関係者がどう感じるかは推して知るべしだ。 もちろん、日中の密接な経済関係を考えれば、日本の有力な財界人が日中交流の橋渡し役を務めるのは、日本人からすれば「当たり前の事」といってよいだろう。しかし、米国人が我々と同様な見方をしてくれると期待するのは、少々虫が良すぎるように思える。 2018年7月、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長と会談した当時のトランプ大統領は、大量の天然ガスをロシアから購入していたドイツを念頭に、「ロシアに大金を払いエネルギーを買っている国を、どうして米国がロシアから守らなければいけないのか」と痛烈に批判した。 こうした発言の背景にはおそらく自国のシェールガスを売り込みたい米国側の思惑もあるものと思われるが、米国の軍事力に依存しながら相反する国に巨額の資金を提供する「身内の不義理」にイラ立つ米国の本音が垣間見える。 ■買収成功への切り札、ポンペオ氏の招聘 「このままではマズイ」と日本製鉄も感じていたのではないか。乾坤一擲(けんこんいってき)の策に打って出る。 2024年7月20日、日本製鉄は前トランプ政権でCIA長官や国務長官を務めたマイク・ポンペオ氏を、USスチール買収のアドバイザーとして起用すると発表した。 ポンペオ氏は「対中強硬派」として知られますが、国務長官時代に中国を厳しく糾弾したこともあって、2021年以降、中国外務省から中国本土、香港、マカオへの入境を禁じられている。 こうしたロビー活動が奏功するかはまだわからないが、今回のディールを成功させたい日本製鉄の「危機感の表れ」と考えるのが自然だろう。 16~17世紀にかけての大航海時代の後期、オランダはスペインとの長い独立戦争を戦った。当時、その強欲さで名をはせたとされるオランダ商人は、戦争相手のスペインにも武器や軍事物資を売り渡し、世の顰蹙(ひんしゅく)を買っている。 考え方の一つかもしれないが、米政府・軍関係者から見れば、極東地域の地政学リスクを高める恐れのある中国と積極的に交易を行ない、中国の「強国戦略」に貢献している日本企業があるとすれば、かつてのオランダ商人のように映っても不思議ではないだろう。 まとめに 米国の公立学校では、朝のホームルームで直立した子供たちが左胸に右手を当てながら、星条旗に向かい忠誠の言葉を唱える。 プレッジ(Pledge of Allegiance)と呼ばれる儀式で、真剣な表情で国家と国旗への忠誠を誓う。戦後の平和教育を受けた日本人からすれば、驚かされる光景だが、1775年の独立戦争以来、ほぼ休むことなく戦争を続けてきた米国人にとっては、当たり前の光景だ。 今回の日本製鉄によるUSスチール買収についても、長らく平和に暮らしてきた日本人の感覚からすると「意外な結果」となってしまうのかもしれない。 ◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。 関連情報 http://www.smd-am.co.jp 構成/清水眞希
@DIME編集部