子ども時代の“熱”を忘れたフットボーラーなかなかトップに辿り着けない【コラム】
フットボールを勝負にだけ落とし込もうとすると罠がある
「フットボーラーは、子ども時代と同じようにフットボールを謳歌するべきだ。プロになった後で、『子どものときのようなプレーは再現できない』なんて、私にはあり得ない。フットボールに恋するような純真さは、あっさりと手放すべきではないんだ」 【PHOTO】2024年夏の移籍市場で新天地を求めた名手たちを一挙紹介! これは、アルゼンチン人マウリシオ・ポチェッティーノ監督の教えである。 熱狂とはフットボールであり、フットボールとは人生で、人生とは熱狂である。好きこそものの上手なれ。子ども時代、寝食を忘れてボールを蹴ることに夢中になった日々が、フットボーラーを生み出すのだ。 つまり、少年時代のボールを蹴る熱を忘れてはならない。 そもそも名選手というのは、どこか子どもっぽさを残している。かつてのブラジルの英雄ロナウジーニョはその象徴だった。天真爛漫、純粋そのもので、大人とは思えない、幼稚もあった。 「子どもらしさとフットボールの才能というのは、どこかで結びついているところがありますよ。すぐに人のやっていることを真似するところとか」 長らくバルサのフィジカルトレーナーとして功績を残したパコ・セイルローはそう語っていたことがあった。 「ロナウジーニョは、観察と模倣が大の得意でしてね。私の真似までしていました(笑)。彼はそうやって、他の選手のプレーをすぐにコピーしていましたね。つまらなくなったら、おもちゃを放り出すように真似るのをやめてしまうんですが、その感覚だけは自分のものにしていました。子どもの頃から、彼はずっとそうだったそうですよ。つまり、何も変わっていない。そうやって、彼は一流のフットボーラーになったのでしょう」 フットボールの本質は、あけすけの子どもらしさにあるのかもしれない。彼らはどこか本能的で、直感的で、興味を持ったものに対して敏感である。逆に言えば、そこに鈍感な選手はなかなかトップに辿り着けない。 なぜなら、勝負は一瞬の判断で決まるからだ。 一方、フットボールを勝負にだけ落とし込もうとすると、そこには罠がある。 多くの選手は勝敗以上に、プレーそのものを楽しんでいるところが多分にあるという。自分の技が成功し、相手の逆を取って、ボールコントロールがうまくいき、思うところにキックする。単純な技の向上への欲求だ。 それ故、勝利するか効率だけに特化した「堅守&カウンターのチーム」というのは、一つのプロセスが終わると、不思議なほどに勝てなくなる。選手のプレーも、突如として輝きが失せる。何かが決定的に失われるのだ。 それは選手が、子ども時代の浪漫を失ってしまったからだろう。 文●小宮良之 【著者プロフィール】 こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。
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