新造船から撤退の住重マリン、洋上風力発電事業にシフトで再起図る
新造船から撤退/大型ドック 設備生かす
住友重機械工業グループの住友重機械マリンエンジニアリング(東京都品川区、宮島康一社長)は、横須賀造船所(神奈川県横須賀市)の新造船事業から撤退する。1897年に浦賀船渠として創業以来、別子銅山の工作方と並ぶ祖業の一つとして120余年にわたり事業を営んできた。今後は洋上風力発電事業にシフトし、再起を図る。(八家宏太) 【写真】新造船事業からの撤退が決まった横須賀造船所のドック 2021年12月28日、横須賀造船所の役員会議室。窓外の夕日を望み、宮島社長は住友重機械マリンエンジニアリングのかじ取りを託された。実はこの時点で新造船撤退のシナリオは動き出していたという。新造船事業の幕引き含みでの打診に「社長就任を告げられた時、いすから転げ落ちそうになった」(宮島社長)。数年がかりで周到に撤退準備を進めてきたのは協力会社を含めた雇用に加え、設備の活用方法を検討するためだ。 時を同じくして盛り上がっていたのが洋上風力発電。洋上風力発電は大量導入やコスト低減が可能であるとともに経済波及効果が期待され、再生可能エネルギーの主力電源化に向けた切り札とされる。政府のグリーンイノベーション基金事業の後押しを受け、大量の鉄鋼構造物の需要が生まれる公算が大きい。 東京湾最大級のドックを持つ横須賀造船所の設備を生かせる道が開けたことから、幹部社員を手始めに少しずつ社内で情報を開示し、24年2月14日開催の住友重機械の取締役会で正式に新造船事業からの撤退が決まった。 撤退を知った国内外の顧客からは、驚きとともに「あと1隻でもいいから造ってほしい」という声が複数寄せられたという。新造船事業について「個人的には続けられるなら続けたい」と宮島社長は悔しさをにじませつつも、「新造船事業だけを見れば赤字。右肩上がりの絵を描けない。慈善事業ではないのでどこかで決断をしなければならなかった」と語る。 決定的だったのは08年のリーマン・ショックだ。ピーク時には横須賀造船所で年9隻の新造船を竣工した実績があるが、リーマン・ショックを機に引き合いは一気に枯れ、12年には受注ゼロを味わった。「こんなに長く暗黒の時代が続くとは思わなかった」(同)。 建造船種を10万重量トン級の中型タンカー(アフラマックスタンカー)1本に絞り、量産による習熟効果やトヨタ生産方式の導入などで生きながらえてきたが、年3隻程度で固定費を賄うには限界がある。ライバルの韓国、中国造船所が市場を席巻し、経営危機に陥っても政府支援を受けて何度でも蘇る。皮肉にも足元ではタンカーの需要が急激に広がり、船価は高水準に張り付いているが、当初計画通り26年1月の引き渡しをもって横須賀造船所の新造船事業は収束する運びだ。 今後は浮体式洋上風力発電設備の大型構造物に活路を見いだす。造船受注が活況の今、洋上風力関連の工事を手がけられる大型ドックの価値は高い。横須賀造船所は300トン吊りゴライアスクレーン2基を備えるが、需要動向次第で1200トン吊りの導入も見据える。宮島社長は「まずは実証機の受注を取る。将来的にも受注実績が重要だ」と力を込める。住友重機械マリンエンジニアリングの新たな“船出”が始まる。