血の気が多かった徳川家康が、なぜ260年もの太平の世を築けたのか?
■ 状況に応じたリーダーシップ 次に出てきた理論は、成功しているリーダーは、状況に応じてリーダーシップのスタイルを変えることができるという条件適合理論(Contingency theory)です。 唯一普遍的なリーダーシップスタイルがあるのではなく、成功しているリーダーは、様々な環境や部下の性質などの条件によって、臨機応変にリーダーシップのスタイルを変える柔軟性と適応力があるという説です。例えば戦場のような非常事態では指示命令型の強いトップダウンが求められます。「狙え、撃て! 突撃!」と一方的に命令する強いリーダーシップが必要です。一方、平時であれば、参謀や部下たちの意見を聞きながら、次の戦闘の準備をする参加型のリーダーシップに切り替えるべきです。 例えば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康はリーダーシップスタイルが違います。彼らが登場する順番が違ったり、お互いの置かれている環境が違えば、歴史の流れを変え、それぞれ名前が現代に残るような有名な武将として知られることになったかはとても疑問です。単一のリーダーの型ではなく、その場、その時の状況や部下の様子を見ながら臨機応変に変えられるのが、良きリーダーなのです。 徳川家康は「狸親父」の印象がありますが、戦国時代の若い頃は血の気が多く、勇猛果敢で戦好きで部下に何度も諌められています。一旦天下を取ると林羅山から「四書五経」を学び、「馬上で天下を取ったとしても、馬上で天下は治められない」ことを理解し、リーダーシップのスタイルを変えることができ、徳川260年の礎を築きました。織田信長が狸親父になって「論語」を勉強する姿はあまり想像できません。 メディアではトップダウンのカリスマリーダーがもてはやされていますが、変化の激しい時代において一人のリーダーが全てをこなすことは不可能です。その上このようなトップダウン型のリーダーの下では人は育ちません。部下が何も考えなくなるからです。またどんな素晴らしいリーダーでも、必ず寿命があり衰えていきます。カリスマリーダーがいなくなると業績が急降下する例は、枚挙にいとまがないのです。現代でも長くトップを続けている経営者は、結局後継者をうまく育てるという意味では、失格なのです。
岩田 松雄