<リベリア・内戦の子供達>ムス(その1) ── 高橋邦典フォト・ジャーナル
引き裂かれた右手
「なんてこった!」 二人の男に抱きかかえられながら坂を降ってくる幼子の姿をみたとき、僕は思わず声をあげずにはいられなかった。その子の右手は肘の下からちぎれ、数本の筋でかろうじて繋がっているだけだ。傷口からは真っ赤に染まった肉片がはみ出している。出血多量で死んでしまうことを危惧した僕は、あわてて彼らを車の後部座席に押し込んだ。あたりに他の車などみあたらなかったのだ。近くにあった「国境なき医師団」の診療所に着くと、先に車を飛びだした僕は、この子に向かってかろうじて数枚シャッターをきった。写真を撮るより先に他人を助けたのは、僕のカメラマン人生で初めての経験だった。 翌日診療所を訪れた僕は、右手は失ってはいたものの、母親の膝に座る少女の元気そうな姿をみて、とりあえず安堵した。疲れ切った様子の若い母親が、僕を見上げてか細い声で一言だけ言葉を発した。 「ありがとう」 ムスという名の6歳の少女は、反政府側から撃ち込まれた迫撃砲によって傷ついた、罪もない犠牲者の一人だった。 (2003年7月)
少女との再会
翌年、内戦が終わってほぼ一年後に再会したムスは、僕の姿をみるなり飛びついてきた。驚いたことに、僕のことを覚えていてくれたようだ。彼女はまるでその傷跡をさわってほしいかのように、肘までしかない右腕を僕の手にあてがってきた。それはこりこりと骨張った小さなこぶしと握手をしているような、なんだか不思議な感触だった。 彼女の住む長屋の前にひらけた空き地を、近所の子供達と一緒に走りまわるムスはエネルギーに満ち溢れていた。縄跳びをするにも片足けんけんをするのもまず彼女が最初。時には言うことをきかない男の子を泣かせてしまうほどのおてんばぶりだ。
「戦争が終わったとき、どう思った?」 僕はムスに尋ねた。 「もう砲弾の音に怖がらずに、学校へ戻れるし、友達とも遊べるって。それから、家族のだれも死なずにすんでよかったって。だけど…」 「だけど?」 「手がなくなったのは、やっぱり悲しかった…」 学校にいったり、自転車で通りを走ったり、庭で遊んだり、そんな当たり前のことさえできなかったのが戦争中だった。内戦が終わり、ようやく家からでられるようになって不自由から解放された。しかし、利き手を失ったムスには、以前の「当たり前の暮らし」は戻ってこなかった。はさみで紙を切ったり、洗濯物を絞ったり、「おちゃらかホイ」のような両手を使う遊びさえできなくなってしまったのだ。