ACコブラ、なぜ「大波乱」を呼んだ? 1960年代の伝説的スポーツカー 歴史アーカイブ
V8を積んだ美しき野獣 なぜか「英米対決」の舞台に
1953年、英国人レーサー、ジョン・トジェイロ氏が、英国の自動車メーカーACに最新の競技用車両を披露したのがすべての始まりだった。ACは当時、勢いをつけるために新しいスポーツカーを必要としていた。 【写真】5.0L V8スーチャーで現代に蘇った大蛇【ACコブラGTロードスターを写真で見る】 (13枚) ここで生まれた新型車はACエースと名付けられ、ロンドン・モーターショーに出品されると好評を博した。量産化が決定し、新しいルックスとACの直6が与えられた。 1958年にブリストル製エンジンを搭載した後期型についてAUTOCAR誌が下した評が示すように、エースは実に的を射ていた。 「エースは、圧倒的なスピードと加速力、非常に安定したハンドリング、見事なブレーキ、一流のステアリングという、最も魅力的な組み合わせを備えている」と、当時のAUTOCARには書かれている。 3年後、問題が発生した。ブリストルは年代物の6気筒エンジンを廃止してしまい、代わりとなる英国フォードのユニットも期待外れだった。解決策は意外なものだった。米国テキサス州のレーサー、キャロル・シェルビー氏とデトロイト・フォードの大排気量V8である。こうしてコブラが誕生した。 「このクルマは運転するのはもちろん、同乗していても非常にエキサイティングであることは否定できない」と、AUTOCARは1965年に熱狂的に語った。 「加速はセンセーショナルで、オープン・コックピットの飛行機で離陸するのに似ている。快晴の空、開けた道路、すべての日常から離れるのに最適な1台だ」 「このクルマの魅力の1つは、日曜の朝、ちょっと走っただけで同じような爽快感を味わえることにあるが、そのほとんどは、どんな状況でも常に十二分に発揮されるアグレッシブなパワーによるものだ」 モータースポーツでも大成功を収め、1965年のFIA GT選手権では、流麗なクーペボディを身にまといながらフェラーリを抑えてタイトルを獲得した。 コブラの生産は1967年まで続き、英国と米国で1002台が生産された。 あらゆる世代がこの美しい野獣に憧れて育ったため、生産終了後もレプリカが人気を博した。 1982年、英国のコブラ専門家であるオートクラフト(Autokraft)社は、ACからMkIVの生産再開の許可を得て、このウェーブに乗じようとした。ブライアン・アングリス氏率いるオートクラフト社の働きは見事で、1986年には、3000MEの発売に失敗して疲弊していたACが彼に商標権を売却し、フォードも彼にコブラの名前を使用する権利を与えた。 しかし、シェルビー氏がコブラの生産を米国で再開したため、事態は悪化し、公の場での舌戦に発展した。 1993年6月、アングリス氏は、「コブラはすべて(英国の)ACで生産された。すべてのシャシーはACの工場記録に記録されている。塗装され、トリミングされ、エンジンとトランスミッションを除いてシェルビー・アメリカン社に送られた」と語った。 これに対し、シェルビー氏は「ACはシェルビー・アメリカン社の下請け以外の何者でもなかった」と反論した。「我々はACから多くのシャシーを購入する契約を結んでいたが、多くの場合、それらのシャシーは輸送中に破損してしまい、その場合はここでクルマを生産していた」 アングリス氏はまた、ACが「427(コブラの最も象徴的な派生モデル)を改良し、より洗練されたものにするための大規模なプログラム」を実施したと主張し、シェルビー氏の怒りを買った。 シェルビー氏は言う。「ACは単にマシンを組み立て、シャシーとボディーをセットアップしただけだ。我々は米国ですべての開発作業を行った。(アングリス氏は)このいずれにも関与していない。彼は何も知らない。それはちょうど彼の脚に毛が生えてきた頃の話だ」 そしてこう続けた。「人々はキャロル・シェルビーが作ったクルマを欲しがるが、オリジナルのコブラに関しては、ブライアン・アングリスが生産したものなどどうでもよいのだ」 一方、米国では、シェルビー氏が新しいコブラをオリジナルのものだと主張して非難されたと新聞で報じられた。彼はこれを否定し、アングリス氏がシェルビー・アメリカンのビジネスに打撃を与えるために悪口を言っているのだと語った。 1993年12月、AUTOCARはアングリス氏に有利な和解が成立したことを報じた。しかし、議論はそれで終わったわけではなかった。 ACが1996年に破産管財人になった後、シェルビー氏は「(わたしの会社が)コブラを生産したのであって、ACではないことを2年前に法廷で証明した」と語った。 その救世主はアラン・ルビンスキー氏で、彼は2003年にシェルビー氏と提携し、コブラのレプリカを生産することで和解した。 しかし、今でもこのクルマは訴訟を引き起こしている。昨年、ACと英国の輸入業者であるクライヴ・サットン社との間で、コブラの商標をめぐる争いが高等法院で審理されたばかりである。
クリス・カルマー(執筆) 林汰久也(翻訳)