「借金は嫌だから自己資金。100軒売ったよ」不動産業で大成功…J通算99発ブラジル人FWの“意外な引退後”「33億円移籍で挫折」の真相も語る
当時破格の“33億円移籍”…その真相とは
――この活躍で欧州クラブの注目を集めました。2000年前半、イタリアの名門インテルからオファーを受けます。名物会長マッシモ・モラッティが「我々はロナウド2世を手に入れる」と語り、獲得を確信したとか。しかしその後、フランスの中堅クラブであるレンヌが2100万ユーロ(約33億円)という当時破格の移籍金を提示し、入団が決まった。当時の真相は語れますか? 「ああ。インテル移籍が決まりかけて、ワクワクしていた。しかし、レンヌのオーナーがインテルの2倍の移籍金を提示したんだ。代理人から『このクラブは大型補強をしており、近い将来、ビッグクラブの仲間入りをするはず』と説得されて行くことになった」 ――そしてU-23代表に選ばれ、2000年7月、シドニー五輪に出場します。このときのメンバーに、ロナウジーニョ(当時グレミオ)がいました。 「宇宙人だね。信じられないほどのテクニックの持ち主で、ドリブルでもパスでもシュートでも完璧にやってのける。敵も味方も唖然としていた」 ――五輪ではグループステージ突破を懸けて日本とも対戦しました。このときの日本は宮本恒靖 、松田直樹、中澤佑二、中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、高原直泰、柳沢敦らを揃え、監督はA代表と兼務するフィリップ・トルシエ。2年後の自国開催のW杯を見据えたチームでした。対戦した印象は? 「じつはそれまで僕は日本のフットボールについて何も知らなかったんだけど、個々の選手の技術レベルが高く、戦術的にもよく訓練されていることに驚いた。立ち上がりの得点を守り切って勝ったんだけど、この国は必ず強くなる、と思った」
ハリルに戦力外通告されたんだ
――しかし、ブラジルは準々決勝でカメルーンの前に敗退し、その後レンヌへと合流します。 「五輪は延長の末、ゴールデンゴールで負けて本当に悔しかった。そしてフランスでは『ロナウド2世』という表現が独り歩きしており、過大な期待をかけられていたんだ。当時、僕は21歳。異なる言語、習慣、メンタリティーなどに適応するのが困難だった。また、当時のフランスリーグはフィジカルを前面に押し出すスタイルで、ブラジルとは全く違っていた」 ――かなり戸惑ったわけですね。 「開けっぴろげなブラジル人と比べて、フランス人はよそよそしく感じた。僕を含めて4人のブラジル人選手だけで固まっていた。フランス語を覚えようとせず、他のチームメイトとはあまり交わらず……これが間違いだった。また、監督が毎年交代し、その度に戦術が変わるから、混乱したんだ」 ――2000-01シーズンは、リーグで28試合4得点。2001-02年は33試合2得点でした。 「じつはこの時、ヴァイッド・ハリルホジッチ(後の日本代表監督)から事実上の戦力外通告を受けたんだ」 ――えっ、そうなんですか? 〈つづく〉
(「熱狂とカオス!魅惑の南米直送便」沢田啓明 = 文)
【関連記事】
- 【つづき→】「ハリルの戦力外通告後、FC東京が」“神助っ人”ルーカス裏話「日本に感謝。エンドウは天才だ」
- 【第3回→】「クボ、君には大きな潜在能力が」と伝えた久保建英16歳の返答は…“不動産業に転身”FWルーカスのFC東京とガンバ、日本愛「僕の人生の宝物だ」
- 【写真】「い、家が超豪華…息子もそっくり」“神助っ人”ルーカスは不動産業で大成功してた…ハリルに戦力外通告されたフランス時代からFC東京、ガンバユニを着てニコニコの今まで全部見る
- 65億円移籍のロシアで“ハブられ”、屈辱のW杯も…「日本に感謝だ。引退したら旅行したい」“今は6児の父”暴れん坊FWフッキ38歳が語るワケ
- 「僕は何もしてないのに厳罰」問題児FWフッキの日本愛…東日本大震災直後にポルトで見せた“ある行動”とは「イエローにも腹は立たなかった」