【プロ野球】大物が続々引退、消えゆく80-90年代野球
後楽園のようにかつて本拠地として使われていた球場でのプレー経験を持つ選手も残り少なくなってきた(表2)。中日がかつて本拠地としていたナゴヤ球場でのプレー経験(一軍公式戦)がある現役選手はあと6人、中日の選手だった山本昌のほかには、谷繁、三浦と岡島(DeNA)松井稼(楽天)に加え当時は阪急に所属していた中嶋(日本ハム)もプレー経験がある。 1986年のドラフトで阪急に入団した中嶋は、阪急の本拠地であった西宮球場だけでなく、ロッテの川崎球場、近鉄の藤井寺球場、南海の大阪球場、ダイエーの平和台球場での試合にも出場経験がある。川崎、西宮、大阪、平和台の各球場はほかに現役で経験のある選手はおらず、この4球場でのプレー経験がある選手は中嶋で最後の選手となる。近鉄が大阪ドームに移ったあとも数年間使用されていた藤井寺球場は、中嶋のほかに西口、松井稼、サブロー(ロッテ)もプレーした経験を持っている。
山本昌、谷繁が引退したため中嶋は来季も現役を続行すれば、1980年代、そして「昭和」に入団した最後の選手となる。そして90年代を代表する投手である、野茂英雄(当時近鉄)と日本の公式戦で対戦した経験を持つ最後の選手ともなる。中嶋は野茂と1994年5月3日の試合で2度対戦し、2度とも四球を選んでいる。 米国へ渡った選手との対戦経験といえば、オリックス時代のイチローとの対戦を経験した投手も数少なくなってきた。現役でもっとも多くの対戦経験(54打数12安打)を持つ西口が引退し、残るは松坂(ソフトバンク)と川井(楽天)だけ。意外な名前にも思える川井はロッテ時代の2000年に2度対戦していて、対戦結果は二ゴロと死球だった。イチローが日本にいたころにパ・リーグのチームに所属した投手はNPBにはもうほとんど残っていない。今季全休した松坂が今後も復帰がかなわなかった場合は川井が90年代のパ・リーグ最後の投手となる。