関大野球部のサインボール79年ぶりハワイから帰国
「チーム全員でただいま帰りました」
大阪府吹田市の関大千里山キャンパス。サインボールは幸子さんと楠見晴重学長の手によって、関大野球部100年記念展の会場に展示された。 幸子さんは「野球選手として実績を残せた父の人生は、関大とともにあった。今年は戦後70年、父の没後70年、関大野球部創部100年。大きな節目にサインボールを関大へ届けることができ、感慨無量です。父も『ただいま帰りました』と喜んでいるでしょう」と話した。 幸子さんの自宅にはバットやグローブなど、野球にまつわる父の形見は何ひとつ残っていない。3個のサインボールのうち、1個ぐらい手元に置いておこうとは思わなかったかとの質問に、「サインボール3個でひとつのチーム。関大へチーム全員で帰ってくることが大事だった」と強調した。 楠見学長は「創部100年に貴重なサインボールの展示が実現し、運命的なものを感じる。実際に使用された試合球が残ることはきわめて珍しい。西村投手をはじめとする選手たちの汗がしみこんでいるボールを展示でき、うれしい限り」と謝辞を述べた。 「父は野球選手であるとともに読書が好きだった。自宅でくつろぎ、腹ばいになって本を読むとき、私も父の背中を枕代わりにして寝ころび、本を広げていた。赤土まみれのサインボールを手に取ると、あのときの父の背中のぬくもりを思い出します」(幸子さん) 制球の良さを武器にしていた頭脳派投手が、読書をしながら愛児とくつろぐ。つかのまの休日を楽しむ情景が目に浮かぶ。 関大野球部がハワイ遠征で国際親善に努めた5年後の41年、ハワイ真珠湾攻撃を契機に日米は太平洋戦争へ突入していく。戦後70年、親善試合が行われた真珠湾近くの球場は今も健在で、多くの若者たちが野球に打ち込んでいるという。 記念展は年史資料展示室で来年3月末まで開催し、入館無料で一般公開。関大野球部出身の上田利治さん(元阪急ブレーブス監督、野球殿堂入り)の学生時代使用のキャッチャーミットや、山口高志さん(元阪急投手、阪神タイガース投手コーチ)の阪急時代のユニホームなども展示している。詳しくは関西大学の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)