「おまえは醜い」「消えろ」…母に否定され続けた私が、自己肯定感を取り戻すまで
自分の顔が嫌い…中学3年で整形しようとした
おおたわ:この頃は、自分の容姿にも性格にも自信がなくて「私なんかダメだ」と思っていたんです。母にも、「おまえは醜い」「デブだ」と毎日のように言われていました。 自分の顔が嫌いで整形手術を受けたくて、お年玉やお小遣いを貯めて、中学3年の春休みに美容整形クリニックに電話をしたことがあります。まだ子供だったので、電話したらその日のうちに手術の日程が決まって、春休み中に全て顔が変えられて、高校からは新しい人生が始まると思っていたんですね。でも、カウンセリングの予約を取れるのは来月と言われ、高校入学までに間に合わないと分かって、整形手術を受けることを諦めました。 ――お母さんも、何度も整形していたそうですね。 おおたわ:はい。「自分の顔が大嫌い」というのは、結局、「自分が嫌い」ということの表れなんですよね。 今となっては、あのとき整形しなくて良かったなと思っています。 私は優しい父のことが大好きでした。亡くなってから日が経つと、だんだんと普段父がどんな表情をしたのか忘れちゃうんですよね。ふと鏡を見たときに、左右の目の2重幅が違うところが父にそっくりだと気付いたのです。 それ以来、整形するのはやめておこう、自分の顔を好きになれるような生き方をしていこうと思っています。しわはこれからも増えるけれど、そんな自分の顔も許せるといいなと思います。
肯定感の低さを埋めるためにやってきた人生
――今も自己肯定感は低いままですか?それとも何か肯定感が上がるきっかけがあったのですか? おおたわ:そのときはもがいていたのでわからなかったけれど、肯定感の低さを埋めるための努力をいっぱい重ねてきた人生だった気がします。自己肯定感が低ければ低いほど、たくさん積み重ねないと埋まらない。「なんでそんなに自分を追い込むの」と友達に言われたことがあって。 もともとは1日ゴロゴロしていたいくらいの怠け者なんです。それでも、母のプレッシャーもあってなんだかんだ勉強してきたことで、自分に少し自信がついたり、試験に受かったり、医師免許を取って仕事をするとか、ひとつひとつ「自分は大丈夫なんだ」と証明するためにやってきたような気がしています。 なぜ本を出したりテレビに出演するのかというのも、人から認められたい想いが根底にあるのだと思います。コネクションもない、文章のプロでもない私にとっては突拍子もないチャレンジだったわけだけど、メディアに出たいという自分を駆り立てる強い想いだけがあって、やり続けてきて今に至るという感じ。 これを言うと驚かれますが、医師免許を取ってからも「頭が悪い」という劣等感は消えていません。50歳を過ぎてから総合内科専門医の試験に挑戦したのも、そんな劣等感を少しでも払拭したかったからかもしれません。