日本の主権を侵害する香港当局を政府は許すのか、香港の民主・人権活動家が日本に向かわない3つの理由
1997年のイギリスから中国への香港返還の際、中国の江沢民国家主席は「1国2制度の50年間不変」を国際公約し、香港の「高度な自治」を約束した。 西側社会からすれば、香港は、権威主義を強める中国共産党政権に対する民主主義の砦となるはずだった。しかし、2020年に施行された国安法によって、それがなし崩し的に葬り去られた。 一橋大学での同サミットでは、「今日の香港、明日の台湾」との言葉で香港民主化支援の必要性を訴える意見も出ていた。日本社会に「民主主義の砦」を守るとの危機感が十分にあるだろうか。
次に、国家分裂や政権転覆などの行為を処罰する「国安法」とスパイ行為など国家の安全を脅かす行為を取り締まる「国家安全条例」の施行で、海外にちりぢりになって逃げた香港の民主活動家を「政治亡命者」として、日本政府がどれほど受け入れてきたかだ。答えはゼロだ。 ■消極的な政治亡命者の受け入れ 香港での政治的弾圧から逃れるために、欧米では難民申請を行う香港人の数がぐっと増えているにもかかわらず、日本では香港からの難民申請者がいない。
なぜか。香港活動家のみならず、政治的な迫害を受けて困って逃げてくる人々への亡命支援に日本政府が昔も今も消極的だからだ。 その姿勢を問う最たる例となったのが、2023年9月に香港からカナダへ拠点を移した香港の元民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)さんのケースだ。留学の形を取ってはいるが、香港に帰国すれば即座に逮捕されるため、事実上の亡命とみられている。 周さんは日本メディアにもひんぱんに出演し、「オタク」を自称するほどの大の日本好きで、日本語も独学でマスターした。彼女はなぜ日本ではなく、カナダを亡命先に選んだのか。
周さんは2023年12月5日付の産経新聞のインタビューで、「日本での留学は考えなかったか」と問われ、次のように答えている。 「純粋に大学の評判や何を勉強するのかを考えて選んだ。『外国で勉強するのなら英語圏で』とも思っていた。現在、学生ビザで滞在しているが、外国にいても身の安全がとても不安。大学名や専門分野を公表していないのもそのためだ。今は大学院の勉強に集中したい」 周さんがカナダを選んだ理由について、阿古教授は同サミットで「彼女はよくわかっていると思う。日本に来ても政治亡命者として扱われるのは難しい。彼女は日本で非常によく知られているから日本政府も中国を刺激したくないというところもあると思う」と述べた。