Keishi Tanaka「月と眠る」#8 自粛生活のなかで富士山を振り返る
Keishi Tanaka「月と眠る」#8 自粛生活のなかで富士山を振り返る
ランドネ本誌で連載を続けるミュージシャンのKeishi Tanakaさん。2019年春から、連載のシーズン2として「月と眠る」をスタート。ここでは誌面には載らなかった当日のようすを、本人の言葉と写真でお届けします。 Keishi Tanakaさんの連載が掲載されている最新号は、こちら↓↓ >>>「ランドネNo。112 7月号」。 新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、新しい取材には行けていない。 そんな説明も、もはや必要ないのかと思う今日このごろ。いろんなところで、「新型コロナ」という枕詞を使い狂ってきた。少しずつ明るいニュースも耳にするようになり、状況は変わりつつある。過去の映像を総集編として流したり、過去の記憶で改めて記事を書いたりする時期が続いた。もちろん、いまできる最善で僕らを楽しませてくれたことに敬意を払いながら、これからの希望として、過去を振り返って記事を書くことが、これで最後になればと心から思う。 本誌では数年前に登った富士登山のことに触れ、「日本一」をテーマにコラムを書いた。というわけで、こちらではその富士登山のようすを、写真を中心に振り返ろうと思う。絵日記のような気分で楽しんでほしい。 取材日:2017年8月29~30日。 今回は富士宮ルートで登ることにした。スタートは五合目。この時点で標高は2、400m。高尾山(599m)や東京一の雲取山(2、017m)よりも高いということになる。 一緒に登る仲間はこの4人。お笑い芸人、イラストレーター、アクセサリーデザイナー、そしてミュージシャン。なかなかおもしろいメンツなのではないだろうか。気心が知れた人と登るのはもちろん楽しいが、友だちの友だちとも空の下では仲良くなりやすい。時間はまだまだある。 富士登山の特徴は、ひたすら歩くということに尽きるだろう。森林限界を越える富士山は、岩場がメインとなり、その岩肌をただひたすら歩くことになる。帽子やサングラスなど、日焼け対策は必須だ。 あと、ほかの山よりも人が多いので、追いついたり、追い越されたり、ということが頻繁に起こる。自分のグループと相手のグループの、そのときの雰囲気を掴み、譲ったり、譲られたり、柔軟な判断が必要だ。 休憩をとるタイミングがじつは結構難しい。無理やりがんばって怪我をしては大変だが、休みすぎても逆に疲れることになる。水分はもちろん、飴やドライフルーツなどをうまくとり、なるべく笑顔で登り切りたいものである。 何を語っているのだろう。数年前のことだし、思い出せるはずはないが、奥の雲海も含めて良い写真だなと思う。みんなの顔が楽しそうでうれしい。 八合目。まだまだみんな元気そうだ。ただ、この辺からが少しきつくなってきたことを思い出した。さすが日本一の山はとてつもなく大きい。 そして心が折れそうになったころ、ちょうどにこの日の宿に到着。うまくできている。もちろん一泊できる場所はここだけではないが、僕にはこの九合目の小屋泊はちょうど良い行程だった。翌日に八合目からスタートすることを思うと、少しゾッとする。 この萬年雪山荘、この小屋前のスペースが本当にすばらしい。ここに座り、歩いてきた道とその先に広がる雲海を見てると、疲れが取れた(ような気がした)。 寝床に案内してもらい、ひと休み。男同士で語り合う……ことはなにもなかったが、この時間はこの時間でやはり楽しいものである。 山小屋によっては完全個室があるところもあるが、こういったカーテンでプライバシーを守りながら、みんなで寝るような場所が多い。山小屋には個性があり、それが楽しいところではあるので、事前にいろいろ確認して、自分が不安なく楽しめる小屋を探すのも、計画時の楽しみのひとつだと僕は思う。 少し休憩して外に出ると、空の色が変わっていた。もうすぐ闇が訪れる合図。その景色を少し楽しんだが、いっきに気温が下がっていくのを感じ、翌朝の出発が不安になったりもした。 小屋の中は、酒場のように盛り上がっていた。夕食のカレーを食べながら壁のメニューを見ると、モツ煮やおでんの文字。頼まずにはいられない。そのまま小さな宴がはじまり、少し酔ってきたころにそれぞれ寝床についた。おそらく20時か21時、それくらいの時間だったと思うが、横になった瞬間、それ以降の記憶がない。 ご来光を山頂で見るためには、当然真夜中に歩き出すことになる。これが1日のはじまり。いや、前日からずっと続いていて、先ほどの眠りはやはり仮眠と呼んだほうが良いのかもしれない。そんなことを考えながら、満天の星と地上のヘッドランプを眺め、僕らは再び歩き出した。 山頂に着き、真っ暗ななかしばらくの時間を過ごした。おそらく10分、20分くらいのことだと思うが、その寒さから2時間くらい震えていたような感覚だった。この時間が一番つらかった記憶となっている。ただ、目の前が少しずつ明るくなってきているのを見てると、感動が再び心を満たし、寒さを忘れた。 このメンバーでここまで歩き、一緒にご来光を見たという記憶は、きっと忘れることはないだろう。ひとつのことを一緒に成し遂げたこと。日本一の場所に立っていること。強烈な記憶というのはこういうことをいうのだろう。 少し時間が経てば、完全に太陽が姿を見せ、朝日と呼べるものではなくなる。ただ、この時間は空気が澄んでいて、単純にとても気持ちが良い。「せっかくここまできたのだから」と、時間が許す限りこの景色を楽しんだ。 富士山頂には大きな神社がある。さすが富士山。そして、建設した人に尊敬の念を抱かずにはいられない。ここで旅の無事のお礼を伝え、下山も見守ってほしいと伝えた。 いつまでもここにいたいが、そういうわけにはいかない。何度も振り返りながら、下山を開始した。「帰りは御殿場ルートで、ちょっと走って帰りましょう」と編集部からの言葉。その意味は数時間後にわかることになる。 御殿場ルート名物、大砂走り。ここからは少し走るイメージ、大きなスライドで一気に駆け下りるとのこと。 ちなみにこの日の僕の登山靴はこんな感じ。比較的しっかりと足首を守ってくれるタイプではある。ただ、ゲイター(靴の中に小石などが入らないためのスパッツ)があれば使ったほうが良いとのアドバイスがあったので、しっかりと全員装着し、いざスタート! 耳の中まで真っ黒になりながら、それでも笑ってダッシュ。どこにそんな力が残っていたのかというくらい、意外にみんな走れるから不思議だ。この辺まで下ると、早くゴールしたいという謎な感情が湧いているのかもしれない。ほかの山と違い、景色が変わらない富士山ならではの正直な感情として、あえてここに記しておく(笑)。 最後は全員でゴールの鳥居をくぐり、僕らの富士登山は終了した。 本当にすばらしい経験をした。やはり一度は登っておくべきだなというのがそのときの感想。でもしばらくはもういいやというのが正直なところだった。一年に何度も登ることはできないし、今度はいつ登りたくなるのだろうと漠然と思っていたが、これを書いているいまがそのときであることに気がつき、また妄想の世界へ。