「楽しかったことは一つもなかった」47歳で他界した原爆小頭症の男性も 被爆者たちの人生【日本被団協ノーベル平和賞】
長崎放送
日本時間の10日夜、ノーベル平和賞の授賞式に臨む「日本被団協」。その歴史は、核兵器廃絶と非人道性を世界に訴えてきた一人一人の被爆者が紡いできたものです。「日本被団協」の中核を担う「長崎被災協」で活動した今は亡き被爆者たちの人生と、言葉や思いに触れます。 【写真を見る】「楽しかったことは一つもなかった」47歳で他界した原爆小頭症の男性も 被爆者たちの人生【日本被団協ノーベル平和賞】 後遺症や差別に苦しむ若き被爆者たちが立ち上げた「長崎原爆青年乙女の会」が源流となり、1956年に発足した長崎被災協。日本被団協の中核的存在として被爆者援護と核兵器廃絶の声をあげ続けてきました。 そして、ノーベル平和賞受賞が発表となった10月11日。 NBC長崎放送 元記者・舩山 忠弘 さん(86): 「僕はね、その瞬間ね、思わず体が震えて、それから思わずね、涙がこぼれましたね」 舩山忠弘さん。自らも被爆者で、長年、原爆報道に力を注いできたNBCの元記者です。長崎被災協にも足しげく通い、被爆者たちを取材してきました。 ■「香典なんか要らん。生きているうちに半分でもくれればいい」 原爆への怒りを露わに、率直に心境を語った川崎一郎さんは、舩山さんにとって 印象に残る被爆者の一人です。 被爆の影響で働けなくなり、一日のほとんどを 敷きっぱなしの布団の上で過ごしていました。 故 川崎 一郎 さん: 「毎日毎日が病気と闘っとるとですよ、本当に。精神的にもね、経済的にもね、肉体的にも ほんとに参っちゃってるんだから」 「生活は悲惨のどん底でしょ。死んでからね、我々は香典なんか要らんですよ。生きているうちにね、香典の半分でもくれればいい」 NBC長崎放送 元記者・舩山 忠弘 さん(86): 「(川崎さんは)元気な体であれば、原爆にあわなければ、きちんと働けて 家内にもこんな苦労はさせなくていいんだ、というようなことを話しておられました」 ■「きれいな手と替えてくれると言っても…」 そして、もう一人。涙に声を詰まらせながら語ってくれた言葉が忘れられないという被爆者・平田みち子さん。