三菱「デボネア」はフィアットとの提携でお蔵入り寸前だった!?「走るシーラカンス」は「クラウン」「セドグロ」と渡り合う志の高いクルマでした
アメリカン高級車の雰囲気をまとっていた
当時の日本車はアメリカの影響を強く受けたデザインが採用され、わが道を行くトヨタを除けばラップラウンド・フロントウインドウを採用したセドリックにしてもデボネアにしても、アメリカを連想させるスタイリングを持っていた。とりわけデボネアの場合、デザインをしたのが元GMのデザイナー、ハンス・ブレッツナーであったから、余計そう感じさせるものなのだと思う。スタイリング的には1961年のリンカーン「コンチネンタル」を彷彿させると言われたが、たしかによく見るとそのディテールは似ている。元GMデザイナーのはずなのにフォード系のリンカーン似とは面白い。
2代目はヒュンダイやクライスラーとの共同開発
このデボネア、1964年の発売以来1986年に2代目が誕生するまでの22年間、ほぼスタイルを変えずに作り続けられた。これだけの長寿車は、同じスタイルでと前置きすればほかに存在するのを私は知らない。そして2代目は初代の高い志とは裏腹に、かなり時流とメーカーの置かれた立場に翻弄されたクルマになったように思う。まずRWDからFWDになった。これはコストをかけずに室内空間の拡大を実現できるということからきている。 そもそもこのクルマは韓国のヒュンダイ(当時名、現ヒョンデ)から共同開発の打診を受けて三菱がそれに同意したもので、ある意味三菱にとっては渡りに船でもあった。それに当時の三菱車は皆FWDであったから、FWD化は技術も蓄えていた。だからプラットフォーム自体は「ギャランΣ」のものをベースとしていたのだ。 三菱初となるV6エンジン搭載も、クライスラーとの共同開発という名目で、こちらも開発費を二分できた。ちなみにヒュンダイがバッジエンジニアリングで生産した「グレンジャー」は、当時の韓国市場で同クラスのベストセラーに輝いたそうだが、日本市場のデボネアはそうはいかなかった。 ちなみにこの時代、このクルマをベースにAMGチューン(といっても基本外観のみ)のモデルも出しているが、そこにスポーティさを見出すことはできず、不調に終わっている。
先進装備を導入していた3代目
そしてヒュンダイとの提携の流れは3代目のデボネアにも引き継がれ、パワートレイン系の開発を三菱が、そしてボディデザインをヒュンダイが行う形で登場した。3代目デボネアの登場は1992年のことで、この頃から三菱は現在のACCの流れをくむ前車との車間距離を測定するシステムを導入していた。ただし、あくまでも接近すると警告を発するだけのもので、当時は車速をコントロールまでには至らなかった。 そして1999年、上級の「プラウディア」に市場を引き継ぐ形でデボネアは終焉を迎えた。作り続けられていたら、今年で誕生60周年を迎える。
中村孝仁