端島と原爆 伝え続けた加地英夫さん死去 腹が飛び出した人、全滅の浦上を眺めていた12歳の少年
「どこだろうかここはと思いました。薄暗いんですよ。今まで太陽は頭の上からガンガン照りつけていたのに。今思えばちょうどピカ!ドン!となって原子雲が丸く上がっていく、あれを下から見ていたと思います」 加地さんはのちに写真を見て、辺りが薄暗かったのはきのこのような形をした原子雲の傘の部分に覆われていたからだと思ったそうです。地上約500メートルの空中で炸裂した原爆は、直径3キロに及ぶ巨大な竜巻を現出したとされています。とにかく逃げなければー加地さんは走り出しました。 加地英夫さん: 「さぁてどこに逃げようか。大人が走ってるからその後を追って走りました。揺れてる家の横を通り抜けたらバーって倒れてきた。もうあちこちで家が燃えてる、倒れてる。倒れたらものすごい塵灰がウワーと立ち上がって、道がどこかも分からない。無我夢中で誰かが走ってるのが見えたらその後を追って、もう一生懸命、逃げることに一生懸命」 ■凄惨な姿、救いを求める人々 加地さんはなんとか近くの防空壕にたどり着きます。自身に大きなケガはありませんでした。でも防空壕に入ってくる人たちは全身血だらけ。皮膚は垂れさがり腹が飛び出ている。見たことのない人間の形相。 「『入れてください』『助けてください』って言ってからですね。後から入ってくる人は真っ赤な血をダラダラ流して走ってくるんです。来る人みんなもう…手がですね…手とか腹が飛び出してべらんとなってるんです。自分の皮膚がぶらんとした人たちが…『助けてください』って」 「何があった?何をした?…原爆とはわからないからですね。爆弾が落とされて直接当たったんだろうかと思うぐらいです。怪我して血がだらだら流れてる人たちが、もうどんどん…どんどん…」 防空壕を出て大浦にいる親戚のおばの所へ。途中にある県庁はごうごうと燃えていました。おばに「よかったねあんた!助かったね!」と言われたのが午後4時くらいだったと記憶しています。