【独自】北朝鮮から生存情報も「見捨てられた」拉致被害者 当時の担当大臣取材応じる
■田中実さんの担任 渡辺友夫さん(故人) 「田中実のことについては私しかできんねん。私を超えてやる人おらへんがな。誰もしてくれへんねん。(田中さんに)『一生懸命やったら俺も命をかけて守るわ』っていうことはね、ホームルームの時なんかとか、そういうことを言うとるからさ、今度田中来たら俺もう知らんでとか言えへんがな」 2008年に亡くなる直前まで田中さんを心配していたといいます。 ■田中実さんの担任の息子 渡辺慎太郎さん 「最後にちょっと『田中実のことも気がかりなんやけどな』いうような話も始まって『もし田中実が帰ってくることがあったら、あんたらに車椅子でも押してもろて空港でも行こうかなと思てたんやけども、もしそれが無理やったら、あんたが行って私が待っとったことだけでも伝えてよ』いうような…それをずっと考えながら、まだ中々それを果たすことができずに今日 まで至ってるんですけど」
父親の遺志を継いだ慎太郎さんは、高校の同窓会名簿を基に田中さんの同級生を探しました。 ■渡辺慎太郎さんと田中実さんの同級生 「あっこんにちは、ご無沙汰してます お元気でしたか?」 「久しぶり~」 「田中が帰ってくるのを祈って」 「田中の帰還を祈って」 田中さんが帰国したらみんなで空港に迎えに行くと約束しています。 ■渡辺慎太郎さんと田中実さんの同級生 「やっぱり田中さんがお会いして一番喜んで頂けるのはこの同窓生の人たちしかいない」 「これが田中と俺やし」「これが田中ね、これ」 「割と憎めんやつだったと思いますよ。可愛げがあったというか、いつも僕らの周りをチョロチョロしてどっか行くとなったら必ずついてきて」 「渡辺先生が教壇から田中のことをほめたんですよ」 「田中の方をポッと見たらね、ちょっとこう下向きながらはにかんだ笑い顔がいまだに頭に残ってる。その時のニタッとした顔はいまだに頭に残ってますわ」
北朝鮮からの生存情報 なぜ日本政府は受け取らず?当時の閣僚は
なぜ、政府は田中さんら2人の生存情報を受け取らず非公表にしたのでしょうか?2人の「生存情報」は2018年に共同通信が初めて報道しました。当時、国会でも取り上げられましたが… ■有田芳生参院議員(当時) 「田中さんは97年の段階で生存していて、そして北朝鮮で日本人と結婚しているということも明らかになっている。当然、本人のところに行って聞き取りをすべきでしょう。もう4年経っているんですよ。やらないんですか?聞き取りは」 ■安倍晋三総理大臣(当時) 「どのような対応をしているかどうかということについてもお答えを差し控えさせていただきたいと思います」 ■拉致議連会長 元拉致問題担当大臣 古屋圭司衆院議員 Qその事実は国民に知らせるべきだったのでは? 「私はそうは思いません。やっぱりこういうものは極秘の交渉の中で、結果が出てきた時にははっきりそれをつまびらかにしてやる必要があると思いますけれども、さっき申し上げましたように、全部ほとんどが水面下の交渉なんです。水面下の交渉が水上に出てきたら、もはや水面下じゃないんですよ。それがもし万が一水面上に出てきてしまったら、あの国は彼らはみんな粛清されますよ」 2002年、北朝鮮が「死亡」と報告した横田めぐみさんら8人の拉致被害者について日本側は再調査を求めていましたが、複数の政府関係者によれば、北朝鮮はその「中間報告」でも「8人は死亡」と報告。その代わりにそれまで入国を否定していた田中さんと、金田さんの「生存」を伝えてきました。しかも北朝鮮はこのとき「2人は北で幸せに暮らしている」「帰国の意思はない」と伝えてきたといいます。 ■政府関係者C(当時) 「2人は(一時的に)日本に帰ってもまた北朝鮮に戻っていく。同時に北朝鮮は(一時帰国の)見返りも要求した。それで世論は納得するのか、という話になった」 田中さんの同級生たちは… 「ちゃんと日本政府が調べて、きちっと本人の意思を自由な時に、何も束縛されていない状態でほんまはどうかっていうことを聞いてほしいなと」 「ほんまの真実というのは田中しか知らんねん。本人の口から聞かな分からへんけども、日本ってどうなったんやろな、一回帰ってみたいなという思いは絶対あるはずやんな」 「それは私も一緒」 「(日本を)見た上で自分がどうしたら良いか、残りの人生どうしたらいいかという考えるチャンスだけは与えてやってほしいなと」 「本人の意思な」 「そう本人の自由意思」