「母親からの虐待、学校でのいじめ、親族からの性被害」毒親育ち発達障害の女性が、ストリートピアノで人生を乗り越えるまで
大学は中退、専門学校に通った…お金を貯めて20歳で両親と絶縁
──大学は卒業できた? 「いいえ。途中からお金がかかるからと大学中退して美容関連の専門学校に行かされました。当時母親が決めた大学に入ったのに途中で行くなと言われて、はしごを外された気分になったことを今でも覚えています」 ──専門学校の時はどんな生活を送ったのでしょうか。 「専門学校に通いながら、自分に合わないアルバイトをさせられました。アルバイト先でもいじめられて、精神的に病んでしまいついに限界に。大学時代から母親に内緒にしながら風俗で働いて貯めたお金で家を出て両親と絶縁しました。20歳のクリスマスの時です。とにかく母親からの暴力から逃れたくて見つからないように、住民票閲覧制限もかけました」 ──ご両親と絶縁した後は。 「働いたのですが、人とコミュニケーションが苦手でやはりいじめられたりして仕事を転々としていました。その間、ストリートピアノを始めて。生きづらさから解放されたいと思い、22歳の時に病院で診てもらったところ、発達障害ASDとADHD(※)と診断されました」
20歳過ぎて初めて発達障害の診断 再びピアノを弾き始めた
──20歳過ぎて発達障害の診断を受けたわけですね。 「診断を受けた年に、今の旦那さんと出会いました。私が都庁でピアノを弾いていたところ、話しかけられたことがきっかけです。一人の時は生活が苦しかったのですが、結婚してからはピアニスト1本で活動しています」 ──お母さんからの虐待、学校でのいじめ…つらかった人生も終止符を打てました。今後の抱負を教えてください。 「これまでを振り返ると、自殺を毎日考えていた私。いつも駅のホームから飛び込もうと何度も思いました。それでも、唯一20年ほど続けてきたのがピアノ。ストリートピアノを始めてから、私の演奏を聴いて拍手をいただいたり涙を流したりする方々と出会って…生まれて初めて心の底からうれしいと思いました。私と同じように苦しんでいる、悩んでいる人たちに私の演奏を通じて前向きになってもらうため、これからも活動を続けていきたいです」 ※【ASD(自閉スペクトラム症)】人とのコミュニケーションが苦手・物事に強いこだわりがある。 【ADHD(注意欠如・多動症)】年齢あるいは発達に比べて注意力が足りない、衝動的で落ち着きがないといった特性を持つ。 現在ゆきさんは、主に都庁南展望室でピアノの演奏活動に取り組んでいます。曲はクラシックがメイン。時間は10時~12時、14時~16時の間だそうです。 (まいどなニュース特約・渡辺 晴子)
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