「大事なのは日常を取り戻すということ」――原田龍二・愛夫妻が語る“家族の修復”までの道のり
俳優の仕事がなくなったとしても、どんな仕事でも体を張ってやるつもりです
原田龍二さんはなぜか憎めない人だ。しかし今回ばかりは周囲の許しに甘んじたわけではなかったようだ。 ―これまでのこと、また今、夫として父親として家族に言いたいことは何ですか。 龍二さん: 自分が犯した過ちについてこれまで何度も謝りましたが、ただ謝るだけではなく、これから先、自分の生きる姿勢を見てほしいということを伝えたいですね。当然厳しい目で見ると思うんですけど、長い目で見守ってほしいです。ただ、僕自身はこれまで同様、またそれ以上に、家族のために全力で頑張るという気持ちはありますし、もし俳優の仕事がなくなったとしても、家族が食べていけるよう、どんな仕事でも体を張ってやるつもりです。 ――原田さんは家族にすごく愛されていると感じました。家族との一番の思い出は? 龍二さん: 僕は、ドラマ『水戸黄門』に佐々木助三郎役で長くレギュラー出演させていただいたのですが、その撮影所がある京都・太秦に32歳から7年間、家族で移り住んでいました。私は東京、妻は神奈川出身で、京都は縁もゆかりもなく頼れる人がいない土地でしたから、子育てはふたりで協力してやっていました。ドラマの撮影が終わるのが夕方4時か5時。帰宅するとママチャリの前のシートに小さな娘を乗せて、もうちょい大きいお兄ちゃんを後ろに乗っけて、毎日1時間くらい自転車をこぐのが日課でした。太秦から渡月橋がある嵐山、その付近の竹林や公園、観光巡りをするような風光明媚な場所をママチャリで疾走する。ご近所さんに「助さん」「原田さん」と声をかけられながらです(笑)。それが本当に楽しい思い出ですね。娘は太秦時代に生まれましたし、その時期は、子育てしたという実感はあります。仕事も子育ても忙しかったですけれど、とにかく一生懸命でした。今思えばあの時期が一番充実していたかもしれません。小さな家族を守るのが精一杯、妻との関係もより深くなったような気がします。僕たちの絆がかろうじて壊れなかったのは、もしかするとあの頃があったからなのかもしれません。