「西日本」が壊滅する…まさに次の国難「南海トラフ巨大地震」は本当に起きるか
社会を動かした東海地震説
しかし、東日本大震災前の南海トラフの地震対策は、石橋克彦氏(当時東京大学理学部助手・現神戸大学名誉教授)が、1976年5月に地震予知連絡会(以下「予知連」)に提出した駿河湾地震説(以下「東海地震説」)を拠り所としていた。提出されたのは東海地域から南海道にかけ、過去100年から150年周期で繰り返されてきた東海地震の発生予測などについて述べたレポート。それは駿河湾地域の観測充実や地震予知実現の必要性を強調し、「直ちに実戦体制を整えるべき」というレポートだった。 東海地震説の主な内容は、「次の東海地震の震源域は遠州灘東半部+駿河湾の領域であろう。その領域が、1854年安政東海地震の震源域には含まれていたにもかかわらず、1944年昭和東南海地震にはそれが含まれていない、いわゆる「割れ残り」があることがわかった。発生時期に関しては、現状では予測困難。もしかすると20~30年後かもしれないが、数年以内に起こっても不思議ではない」というもの。さらに予想震源断層モデルを示し、「マグニチュード8級の直下型巨大地震だから被害が激甚になること、発生の兆候が明らかになってからでは手遅れであることから、直ちに対策に着手すべき」と訴えていた。 1854年の安政東海地震以来、この領域で地震が発生していないことへの漠然とした不安もあり、東海地震説はメディアなどでも大きく取り上げられた。1978年6月、政府は「大規模地震対策特別措置法(以下「大震法」)」を制定(同年12月14日施行)。 この法律などによる東海地震予知体制の概要は、傾斜計等の観測データに異常現象があった場合、直ちに地震学研究の第一人者たち6名からなる「地震防災対策強化地域判定会」(以下「判定会」)を招集。判定会で地震発生の可能性などが検討され、可能性が高まっていると判定されると、気象庁長官から内閣総理大臣に報告され、閣議に諮った上で、警戒宣言が発出されるという画期的なものだった。 予め想定した特定の大規模地震(東海地震など)を対象にして、こうした「事前予知」を前提として「警戒宣言」発出の防災体制は、2021年5月20日の法律改正まで続いた(現在の判定会は、南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会と一体となって検討を行っている)。 その間に阪神・淡路大震災(1995年)もあり、東海地震説が契機となって、結果的に社会全体の防災意識向上につながっていった。その後も政府は「東海地震対策大綱」(2003年5月)、「東南海・南海地震対策大綱」(2003年12月)等を策定。東海地震だけでなく、東南海地震、南海地震、三連動地震(東海・東南海・南海地震)も視野に対処してきた。