『おむすび』は“軽い”朝ドラではない 物語の根底にある誰にでも起こりうる悲劇
朝ドラことNHK連続テレビ小説『おむすび』の第12週「働くって何なん?」は社会人編のはじまり。 【写真】心から寂しそうな顔でキャッチボールする翔也(佐野勇斗) 結(橋本環奈)が栄養士として星河電器の社食に就職した。朝ドラに限ったことではないが、ドラマにありがちなのは、主人公の向かった先に立ちはだかる大きな壁である。『おむすび』もやはり。 星河電器の社食には気難しい調理師の立川(三宅弘城)がいた。翔也(佐野勇斗)の彼女として社食に立ち寄ったときは気さくな人のイメージだった彼が、こと仕事となるとニコリともしない。栄養士なんて不要だと結に冷たく当たる。焦った結は入社1週間にして栄養士として立川に意見して、機嫌を損ねてしまう。ただ、昔のドラマと違って、ハラスメント表現に配慮する昨今、厳しい上司もマイルド化し、立川が理不尽に結をスパルタ教育する描写が延々続くということはない。結が真面目に彼の料理をレシピ化したノートを見てすぐ、日替わり定食のメニューを考える課題を与える。はりきって結が考案したスコッチエッグはどんなに美味しくてヘルシーでも、調理に時間がかかるので立川は不採用にするが、「働くことは稼ぐこと」という教訓を結に与える。 2009年といえば、前年にリーマンショックもあり、それ以前から日本は貧しくなっていたが、ますます状況は悪化していくばかりの頃だ。仕事とは夢を叶えるキラキラしたものでは決してなく、日々の生活費を稼ぐ堅実なものであるという考え方になっていたことを立川が体現する。立川はきっとバブルを経験した世代なのではないだろうか。東京のレストランで働いていた設定であることから、バブル期は東京で愉快にやっていて、不景気ないま、社食の調理師としてコツコツやるようになったのではと想像すると、彼の苦そうな顔や、いやなことがあるとカラオケで尾崎豊を歌って発散することなどがなんとなく腑に落ちる。 ただ、「働くことは稼ぐこと」の説得力は、たとえば、町中華・太極軒のほうがリアルに響く気がした。星河電器の社食がどういう形態なのかわからないからだ。全員社員なのか、外部の業者なのか。社内経営であれば、社食で稼ぐことは期待されていないと思うのだ。予算の範囲でより良い食事を提供することが第一だろう。稼ぎが生活に直結するのは、太極軒や、それこそへアサロンヨネダのほうがわかりやすい。 ということで、ヘアサロンヨネダでは客が減ってきて(これもリーマン・ショックの影響?)、愛子(麻生久美子)がホームページを作り集客に役立てようとするのだが、なぜか聖人(北村有起哉)が認めない。聖人は立川と同じ、自分のやり方を簡単には変えられない職人気質なのだろう。怒った愛子は家を出て、温泉宿でホームページを作って勝手に公開し(なんという行動力、なんというポテンシャル)、それを見た客が続々と店にやってくる。そして愛子も戻ってきて、やっぱり愛子がいないとたち行かないという流れに。ここでは稼ぐことも大事だが、それよりも、お客さんの嬉しそうな顔を見ることが一番のモチベーションなのだということが語られる。稼ぐことも大事だし、そのお金を払ってくれるお客さんの満足も大事なのだ。これは、社食でもヘアサロンでも、そのほかあらゆる仕事に大切なことである。こうして、ロープレ的にいえば、「結は社会人になってまず『働くって何なん?』を学んだ」といったところ。ギャル化したら常識知らずになってしまったような気がして視聴者をやきもきさせた結だが、立川に迷惑をかけたとき、きちんと謝罪できていたし、成長はしているようだ。 と、ここまでは良かった。問題は翔也である。野球選手として将来有望で次のドラフトでは指名され、プロ野球選手になるだろうと期待されていた。彼女の結が会社の社食に入り、毎日会える特典(?)も得て、この世の春状態で、勢いにまかせて結にプロポーズもしてしまう。会社も一緒、家でも一緒でいいのか、と思うが幸せいっぱいのときってそうなのかもしれない。と、ここで気づいたのは、『おむすび』は、聖人と愛子も、永吉(松平健)と佳代(宮崎美子)も商店街の人たちも、モリモリ(小手伸也)と再婚相手も、出てくる人、出てくる人、皆さん、家内制手工業的な、家族で同じ仕事に従事していることなのだ。夫が外に働きに出て妻が家事をするのではなく、夫婦が別々の仕事についているのでもなく、ふたりで事業を行う(結と翔也はまだそういう域には達していないが、彼のコネで同じ職場で働くというのはなかなか珍しい)。これは意識的なものなのか、たまたまなのか気になる。