なぜか相撲部屋が「葛飾区」に集まってきている…その「驚きの理由」
モンゴル人力士の「生みの親」
朝青龍、白鵬、鶴竜……。かつて、大相撲界を彩り、リードした横綱たちだ。 現在なら、横綱・照ノ富士、大関・豊昇龍、元大関・霧島と言った上位力士は、いずれもモンゴル出身者だ。以前より多少減ったものの、日本相撲協会に在籍するモンゴル出身力士は20名。そのうち10名が十両以上の関取である。 【写真】横綱・照ノ富士が膝につけている「異様な器具」の正体 モンゴル人力士が最初に入門したのは、1992年春場所のことだった。 1970年代から、高見山、小錦、曙ら、ハワイ出身力士の活躍は目覚ましかったものの、どちらかと言えば外国出身力士の入門には厳しい目が向けられていたこの時期に、一度に6人ものモンゴル人力士を誕生させたのは、元大島親方(元大関・旭国)の太田武雄氏だった。太田氏は当時を懐かしそうに振り返る。 「当時のモンゴルは社会主義国から民主主義国に転換したばかりで、やって来たのは言葉、習慣、ましてや食べ物にも馴染めない少年たちでした。それでも、彼らに日本人にはない『やる気』『根性』を感じたのです。(部屋のおかみである)女房(淑子夫人)にはだいぶ苦労をかけたけどね……」 ところが、モンゴル人力士たちは入門から半年後の8月、集団で部屋を脱走。そのまま故郷に帰った者もいたものの、旭鷲山、旭天鵬(現・大島親方)、旭天山の3人が日本に残り、出世を競った。そして、彼らの活躍がモンゴルでテレビ中継されたことで、少年時代の朝青龍や白鵬などが憧れた。太田氏はいわばモンゴル人力士の「生みの親」なのである。
37歳8ヵ月で幕内最高優勝
その太田氏が、10月22日、77歳で生涯を閉じた。 訃報を聞きつけて、東京・両国の旧大島部屋には、モンゴル出身力士一期生の旭鷲山、大島親方、白鵬(現・宮城野親方)、かつての弟子で、横綱まで昇り詰めた伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)らが弔問に駆けつけた。 「親方(太田氏)がいて、今の僕がいる。9月に対面できてよかったです」 と、旭鷲山が感極まった表情を見せる。 そして、大島親方も、 「親方がいなかったら、朝青龍や白鵬らのモンゴル出身の横綱は生まれなかったかもしれない。自分の人生から切り離すことができない存在で、いわば父親です」 と、太田氏を偲んだ。 旭天鵬は現役時代、太田氏から「いずれは自分の後継者に」と指名された人物でもある。太田氏が2012年4月に定年退職した後は、旭天鵬が大島部屋の師匠となるはずだったのだが、当時37歳の旭天鵬は体に衰えもなく、元気に幕内力士を務めていた。 「もう少し、現役を務めさせてください」 旭天鵬からの希望を聞き入れた太田氏は、大島部屋を閉鎖することにし、力士たちは一門の友綱部屋(元関脇・魁輝)に移籍した。友綱部屋の一員として初めて土俵に上がった5月の夏場所、なんと旭天鵬は史上最年長(当時)の37歳8ヵ月で幕内最高優勝を成し遂げるのである。