全国制覇から半世紀、まちの人口は4割減 銚子商が始めた取り組み
■人口減ニッポン 高校野球の今(2)千葉・銚子商 東京駅から特急電車に揺られること約2時間。千葉県銚子市は関東平野最東端に位置する。日中もシャッターが下りた店が目立つこの港町に、全国選手権で千葉勢最多25勝を誇る銚子商はある。 【写真】6年間のブランクを経て野球に挑戦する慶大・清原正吾 「銚子商が甲子園で試合をする日はね、人も車もみんないなくなるんだ。家でテレビ中継を見るから」。野球場の土手で練習を見学していた「50年来のファン」という高齢男性は言う。 高校野球史に深く名を刻むチームだ。1953年春に甲子園初出場を遂げると、74年夏に全国制覇。後にプロ野球巨人で活躍する篠塚利夫(和典)を擁する強打は「黒潮打線」と呼ばれ、アルプス席では地元の漁師たちが大漁旗を振るった。 あれから50年。まちも県内の勢力図も、大きく変わった。 80年代ごろから練習施設や寮などを整備した私学が続々と台頭し、現在は木更津総合、中央学院などがリード。体育科などを設ける市立勢は依然として強い一方、銚子商は2005年夏を最後に甲子園から遠ざかる。 まちは過疎化が進む。市によると、人口は1965年の9万1千人をピークに減少し、昨年には約4割減の5万4千人に。特に、働く場がないことなどを理由に、子育てをする若い世代の流出が激しい。近年、市内で誕生する新生児は100人台にとどまる。 比例して野球をする子どもも減った。かつて8校あった市立中学は5校にまで減少。そのうち2校には野球部がない。2027年度にはさらに統合が進み、2校になる。 市内で唯一存続していた硬式のシニアチームは数年前になくなり、近隣シニアの有力選手は私学や県外へ進学する。 そんな危機感を、17年から母校の指揮を執る沢田洋一監督(43)も、選手も共有する。昨年から冬場に地元の小学生を学校に招いて野球教室を始めた。今年も1月に開催し、70人以上が集まった。鬼ごっこなど遊び感覚で体を動かしたり、ルールを簡略化したミニゲームを一緒に楽しんだりする。選手がホームラン競争をして、「おおー」と歓声が上がることも。 そのかいあって、千葉市出身の主将の山田温斗は通学のときに小学生から「銚子商業の野球部だ!」と指をさされるようになったことがうれしい。「銚子は第二のふるさと。自分たちがかっこいい姿を見せ、小学生たちが将来、銚子商を強くしてほしい」 沢田監督は銚子で生まれ育った。甲子園のアルプススタンドから見た「地元のヒーロー」に目を輝かせ、胸に「CHOSHO」と刺繡(ししゅう)されたユニホームに憧れた。 現在、部員は3学年で70人ほど。最後に甲子園に出た後に生まれた世代だ。親世代が銚子商の伝統を知る今は市外からの入部もあるが、「この先どうなるかはわからない。子どもたちに憧れられ、選ばれるチームにならないといけない」。 再び甲子園の舞台に立つことが、学校とまちの未来につながる。そう信じている。(大宮慎次朗)
朝日新聞社