雑居ビルの銭湯にも…“日本一のシャッター商店街” 復活への切り札は『廃墟ツアー』で逆手に取った町おこし
かつて全国屈指の規模を誇っていた岐阜県岐阜市の柳ケ瀬商店街は2024年7月、「高島屋」が撤退するなど、衰退の一途をたどっている。「日本一のシャッター商店街」とも呼ばれる中、逆境を逆手にとった「廃墟ツアー」など、新たな戦略で巻き返しを図ろうとしている。 【画像】全身タイツを着て街を歩くイベントも
■営業するのは全盛期の1割…不名誉な“日本一”のスタープレイス柳ケ瀬商店街
岐阜県岐阜市の柳ケ瀬商店街は戦後、市が繊維の一大産地になるとともに発展してきた。現在は8つの商店街から構成され、古き良き昭和の雰囲気を残しているが、いま、苦境に立たされている。 「スタープレイス柳ケ瀬商店街」は柳ケ瀬商店街の中でも、飲食店が立ち並ぶ「西柳ケ瀬」にあり、夜の歓楽街としてにぎわっていたが、近年はどの店もシャッターが下りたままで、通りに人影はほとんどない。 全盛期にはおよそ300メートルの商店街におよそ250の店が営業していたが、2024年に営業しているのは30店ほどに減少し、「日本一のシャッター商店街」とも呼ばれるようになった。 2024年10月時点で、営業している店は全盛期のわずか1割しかない。西柳ケ瀬でうなぎ店を営む小澤達雄さんは、スタープレイス柳ケ瀬商店街の理事長として、復活に向けたプロジェクトを進めていた。 スタープレイス柳ケ瀬商店街の小澤達雄理事長: 今後、先を見据えてどうしてやっていこうかと頭を悩ませていまして、さびれた西柳ケ瀬を何とか元気つけたい。
■賑わう昭和の「柳ケ瀬」…その後は百貨店も続々撤退
昭和30年代から40年代にかけ、柳ケ瀬商店街は全国にその名を知られる存在だった。昭和41年(1966年)には美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」が大ヒットし、すれ違う人が肩と肩をぶつけないと歩けないほど、賑わっていたという。 中でもスナックやキャバレーが多かった西柳ケ瀬は「夜の歓楽街」として、サラリーマンや観光客の人気を集めていた。 スタープレイス柳ケ瀬商店街の小澤達雄理事長: テナントのビルも全部埋まっていましたし、昭和の時代はまだホテルからのお客さんとか、観光客が浴衣着ながらここを徘徊するような。昭和風情というものがまだありまして、楽しかったですね。 しかし、柳ケ瀬の繁栄を支えていた繊維産業の衰退とともに商店街の活気も失われ、1999年に岐阜近鉄百貨店、2002年には長崎屋が次々と閉店した。 そして、2024年7月には岐阜高島屋も47年の歴史に幕を下ろし、大型商業施設はすべて柳ケ瀬から姿を消したこともあり、客足はさらに遠のきつつある。 西柳ケ瀬の商店街のアーケードには、バブル期の面影を残すネオンが残されているが、テナントの減少に加え、電気代の高騰やコロナ禍の外出自粛も重なり、ここ数年はずっと消えたままだ。