《ボリビア》コロニア・オキナワ入植70周年=小さな村の壮大な歴史(7)「コロニアの生活は大きな財産」
賑やかな祝賀会会場の中でも一際元気な一団があり、近づいてみるとお馴染みの顔ぶれが並んでいた。一団はブラジルからの参加組で、サンパウロ市ヴィラ・カロン在住の高安宏治さん(ひろはる・76歳)がコロニア・オキナワに暮らしていた頃の話をしてくれた。 宏治さんは1959年、13歳の時に家族で本部町から第7次入植者としてコロニア・オキナワに移住した。ボリビア移住を決めたのは宏治さんの父。宏治さんは「地元に帰ってきていた元ペルー移民の親戚から開拓譚を聞いて憧れを持ったのではないか」と推測する。 その一方で、母親は「開拓農業となれば苦労も多く、田舎から外の社会に出られなくなる」と猛反対だった。最終的には「5年間で帰国する」との約束でコロニア・オキナワ第2移住地へ移住することになった。 移住する際、宏治さんは元ペルー移民の親戚から「農業はせず町にでなさい」との言葉を掛けられたことが印象に残っていたという。約束の5年間が過ぎ、10年が経った。宏治さんは23歳になり、結婚もした。 ある日、宏治さんは「ブラジルのヴィラ・カロンでは宝石業の景気が良い」という話を聞いた。次第にブラジルで身を立てる夢を持つようになり、移住を決意した。家族にその想いを告げると、母は賛成してくれたが、父は食料や酒にも不自由しないボリビアでの生活を続けたいという。 結局、宏治さんだけが3カ月間の期限付きでブラジルに渡ることになり、サンパウロ市ブラス区のアラブ系移民の下で、ジーンズ販売の下請け業に従事した。 1970年に一時帰国し、今度は両親と妻と共にヴィラ・カロンに移住し、ジーンズ販売の下請け業を行った。ヴィラ・カロンへの移住当初を振り返り、「思い通りにとんとん拍子にいきました」と語る宏治さん。 「ボリビアでは朝から晩まで一生懸命に農作業に励んでも、自然災害の被害で全てが駄目になってしまうことがあった。ヴィラ・カロンは働けば働くほど収入が得られた」と振り返る。 さらに「大変な農作業や、住人で協力しての橋作りなど、ボリビアの開拓生活で鍛えられた人の中にはヴィラ・カロンで成功する人も多かった」という。ヴィラ・カロンでは1年間で家を建てることができた。下請け業を10年続けた後に独立。現在は長男が会社を引き継ぎ、孫は化粧品業をしているという。 「青春時代を過ごしたコロニア・オキナワは第2の故郷。ここで学んだこと沢山の事は私の大きな財産です」と笑顔を見せた。 ――ドンドン、ドン。祝賀会場に迫力ある太鼓の音が響いた。音につられ、会場前方のステージに目を向けると、コロニア・オキナワの誇る琉球芸能団体が山車を伴った華々しい演目の披露を始めるところだった。(続く、島田莉奈記者)