地中の“戦争の痕跡”が暮らしに影響…名古屋で相次ぐ不発弾の発見 12/15も処理のため東山線の一部等で運休
名古屋市中区のオフィス街で発見された不発弾は11月30日、陸上自衛隊が撤去しました。このところ名古屋市内で不発弾の発見が続いていて、地中に残る「戦争の痕跡」が、これからも暮らしに影響することになりそうです。 【画像で見る】地中の“戦争の痕跡”が暮らしに影響…名古屋で相次ぐ不発弾の発見 12/15も処理のため東山線の一部等で運休 普段と違う緊迫感に包まれた名古屋市役所の会議室。不発弾処理の臨時の対策本部となり、迷彩服を着た自衛隊員が電話で指示をしました。 2024年10月17日、中区丸の内のビルの解体工事現場で、深さ3mの地中からアメリカ製の不発弾が見つかりました。 撤去作業が行われた11月30日は、朝から現場の半径200メートルで車での立ち入りなどが規制されました。住人およそ1900人を対象に一時避難が呼びかけられ、近くの小学校が避難所になりました。 避難した人: 中区のいちばん一等地の所にそういうものがあったというのが、「えー」という驚きでした。 午前10時の作業開始から2時間あまり経ち、処理が終わった不発弾は、トラックの荷台に積み込まれました。 今回出動した陸上自衛隊の「第103不発弾処理隊」は、12月15日にも名古屋に出動し、今度は東区の工事現場で見つかった不発弾の処理に当たります。 このところ名古屋市内で不発弾の発見が続いていて、11月30日に撤去された中区丸の内の不発弾は「M76焼夷弾」でした。東区で12月15日に処理されるのは「250kg普通爆弾」です。 名古屋空襲に詳しい西形久司さん: 爆撃の目標は、まさにこのゾーン1だったわけです。江戸時代から名古屋の人々がここに住まわっていたわけですから、人口密度が高いんです。 ピースあいちの理事で名古屋空襲に詳しい西形久司さんは、アメリカ軍は戦前から街の中心で木造の家屋が密集していた中区への空襲では、焼夷弾が使われたと話します。 東区で見つかった不発弾は、より破壊力の強い「普通爆弾」で、いまのバンテリンドーム周辺にあった三菱重工の工場などを狙ったものとみられます。 戦時中、63回にわたり東京に次ぐ規模の空襲を受けた名古屋。 名古屋市は12月2日、15日の東区の不発弾処理の当日、地下鉄を東山線の栄駅と池下駅の間などで運休し、市バスも迂回運転すると発表しました。 地中に残る「戦争の痕跡」が、これからも暮らしに影響をもたらすことになりそうです。 (東海テレビ)
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