なぜ"暴力反対"は間違っているのか? 思想と歴史に学ぶ「暴力」の必須教養
ハラスメントから性加害、紛争まで、「暴力」的な事象が続く昨今。「いかなる暴力も許されない」という言葉もよく聞く。しかし、そんな思考停止の暴力反対論に待ったをかけるのが『死なないための暴力論』だ。 【書影】『死なないための暴力論』 暴力にまみれたこの世界で力強く生き抜くために、暴力とどう向き合えばいいのか。著者の森 元斎(もとなお)氏に話を聞いた。 * * * ――なぜ今、「暴力論」なのでしょうか? 本書執筆のきっかけを教えてください。 森 2022年の安倍晋三暗殺事件がきっかけのひとつです。誰も正攻法では安倍晋三の悪事を断罪できなかったけれど、事件後には統一教会の問題も裏金問題も次々と明るみに出ました。「暴力では何も変わらない」という人もいますが、これは暴力で変わったと思われる事例のひとつです。 実際、本書では暴力的な運動が世の中を改善してきた事例を多数紹介しています。全否定されがちな暴力というものの別の面を整理することが、本書執筆の目的です。 ――治安の良い日本では、なかなか「暴力」を身近に感じることは難しいとも思いますが。 森 当たり前と見なされていますが、日本政府による徴税と、その無駄遣いだって国民への暴力ですよね。ブラック企業による搾取も労働者にとっては暴力的ですし、男性優位な社会も女性にとっては暴力的です。こうした目に見えない暴力は、われわれの周りにもあふれています。 加えて、本当に「日本は治安がいい」といえるのでしょうか。刑法上の検挙数は減ってきていますが、被害者が警察に訴えないケースも多いです。例えば、日本に暮らす女性で痴漢や性被害に遭ったことのある人はかなりの人数に上ります。「治安」をどういう視点でとらえるのかが非常に大切です。 ――なるほど。しかし、日本では諸外国に見られるような暴動などといった治安の悪化はないように思いますが。 森 暴動の有無で治安を論じるのであれば、「日本が最も治安の良かった時代は戦時中だ」ということもできます。その名のとおり「治安維持法」がありましたから。このように、治安という言葉を誰が使うかには注意すべきでしょう。 一方で、私は暴動と政治は相関関係にあると考えています。日本が福祉を獲得していった時期には、暴動が非常に多かったんです。もちろん高度経済成長というファクターもありますが、1950~70年代は特にそうでした。