「妊娠で辞めるつもりだった」岩清水選手が今もピッチで輝く原動力になった母の「言葉」と「引退時の夢」
── お母様からはどんな言葉をかけられたのですか? 岩清水選手:妊娠が分かって実家にサッカー選手を辞めると報告に行ったときに、「もったいないじゃない。続けたらいいんじゃない?」と言われて。実は20代前半で私が代表に入ったときに宮本ともみさん(現・日本女子代表コーチ)が選手生活と育児を両立されていたんです。練習中はベビーシッターさんに預けて、練習が終わると片脇に子どもを抱えながら食事をしたり。当時はその姿を見て純粋に憧れていましたし、カッコいいなと思っていたんですが、私の母も「宮本さんもやっていたんだから、あなたもやればいいじゃない」って。そう言われて「たしかにな~」と妙に納得したんですよね。引退報告に行ったつもりが帰るときには180度自分の意見が変わっていました。
── チームのスタッフに報告されたときの反応は。 岩清水選手:今だから話せるんですが、妊娠が分かったときはちょうどカップ戦の決勝戦のタイミングで。妊娠していたんですが2、3試合出場したんです。スタッフひとりにだけ妊娠していることを伝えて、そこで区切りをつけて産休に入りますからって。
■産後のダメージは想像以上「軽く走ることもできない」 ── 20年3月に長男を出産されたときは難産だったそうですね。 岩清水選手:32時間かかりました。サッカーの練習はゴールが見えているのでツラいメニューにも耐えられましたけど、出産はゴールが分からない。だから長男が生まれたときは感動の再会というよりも、“やっと終わった!”という安堵感の方が大きかったんです。体力があるから大丈夫、いつもトレーニングしているんだから大丈夫と思われるでしょうけれど、むしろ一般の方々より難産だったという(笑)。筋肉が邪魔をしていたのかもしれませんね。きっとひとりだったら耐えられていませんでした。夫がずっと一緒にいてくれたことが本当に心強かったです。
── 出産後、現役に復帰するまでは想像以上に時間がかかったそうですが不安はなかったですか? 岩清水選手:出産して2か月経った頃にようやく落ち着いてきたので、ちょっと体を動かそうかなという気持ちになりました。それまでは育児が始まったばかりで、新生児を相手に眠れないし、いろいろ大変でそんな気持ちになれませんでした。最初は半年ぐらいで戻れるんじゃないかと考えていたんですが全然、無理でしたね。コロナ禍ということもあって、産後の行動がかなり制限されてしまって、復帰に向けて予定していたトレーニングのスタートも遅れてしまい。アスリートという自負もあったので、やればそれなりに体は戻ると考えていたんですが、想像以上にダメージがありました。体力のなさに愕然としたことも。とにかく軽く走ることでさえできなかったので。