幸村と信幸 大阪城天守閣で真田兄弟の甲冑並び立つ
関ヶ原の合戦で東西に分かれて戦わざるを得なかった真田信幸(信之)と幸村(信繁)。真田兄弟が着用していた甲冑が大阪城天守閣の展覧会で並び立ち、平成の世で兄弟の再会が実現した。真田兄弟の甲冑が横並びで展示されるのは珍しく、大河ドラマ「真田丸」人気と相まって話題を呼んでいる。
幸村を取り巻く人間模様から戦国絵巻を読み解く
この展覧会は「真田幸村をめぐる人々」展。真田兄弟の甲冑再会に触れる前に、展覧会の基本方針を押さえておきたい。企画した北川央大阪城天守閣館長が次のように話す。 「幸村は大坂の陣で49年の生涯の幕を閉じた。真田家が信州真田を追われて武田の家臣になって以降、名だたる武将たちと出会い、戦った生涯でした。幸村がかかわった人たちの史料を通じて、幸村の生涯を振り返る企画です」 幸村の人生には武将たちが綺羅星のごとく登場してくる。 「武田信玄、勝頼、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、大谷吉継、徳川家康、秀忠、伊達政宗など、ほんとうに多くの武将たちと幸村は出会い、ときに戦っている。激動の時代を生きた真田家が、武将たちとどのようにかかわり、武将たちがどのようにみていたかを探ってみましょう」(北川館長) 幸村や真田家を取り巻く人間模様に光を当てることで、戦国絵巻そのものを読み解くことも不可能ではない。
武田家の重臣を描いた絵図から分かる父昌幸の実力
たとえば「武田二十四将図」。最強と恐れられた武田軍団を率いる信玄を最上位の中央に据え、主だった重臣たちを左右に描き込む。武田の家臣だった真田家三兄弟も、信玄に近い好位置に控えている。 三兄弟とは長男信綱、次男昌輝、それから信幸と幸村の父である三男昌幸だ。昌幸は当時、信玄の命で武藤家を継ぎ、武藤喜兵衛と名乗っていた。昌幸は三男であるため、三兄弟の中では下位に扱われるはずだが、二十四将図では兄たちを差し置いて、もっとも信玄に近い上位に描かれている。なぜか。 「武藤家は武田一門の分家筋で家格が高い。真田三兄弟はともにすぐれた人物だったが、中でも昌幸は奥近習を務め、つねに信玄のそばで仕えるなど、とくに信玄の信任が厚かった。そのため、武藤家を継いだうえ、三兄弟でもっとも上位に描かれるほど重用されていた」(北川館長) 武田家の家臣時代から、昌幸が知略の才を秘めていた様子がうかがえる。