幸村と信幸 大阪城天守閣で真田兄弟の甲冑並び立つ
幸村がふたりいたら真田家は破滅していた?
さて、信幸と幸村。ともに父昌幸の薫陶を受けながら、対照的な人生を送る。大河ドラマ「真田丸」の進展に伴い、今年もっとも注目される兄弟になるかもしれない。北川館長は次のように兄弟を対比する。 「信幸は90歳を超える長命だった武将で、信州松代の真田家の基礎を築いた。信幸の子孫が真田家の命脈を受け継いでいく。真田の家をどのように継承していくか、非常に腐心していた。一方、幸村は兄がしっかり家を守っていてくれることから、思う存分、意志を貫くことができた。ふたりのコントラストがきわめて鮮烈なため、今なお人々の関心を集めているのではないか。もしも信幸も幸村のように行動していたら、真田家は破滅していたでしょう」(北川館長) 確かに幸村と比べると、信幸は地味な存在ではある。「関ヶ原の合戦で父の昌幸が秀忠軍を食い止めた。大坂冬の陣では豊臣方の幸村が真田丸を築いて徳川方を苦しませ、翌年の夏の陣では家康の本陣へ突っ込み、家康をあと一歩まで追い込んだ。昌幸や幸村が活躍するたびに、徳川方に就いた信幸の立場は危うくなり、苦労が増えたはず。しかし、信幸は幕府によるお取り潰しの危機を何とかしのぎ、懸命に真田家を守り抜きました」(北川館長)
横並びの甲冑も対照的な生き方を示す
両者の甲冑を比べてみよう。信幸の甲冑は「昇梯子文革包二枚胴具足」。胴の中央に、大胆な構図で描かれた昇りはしごが印象的だ。 「信幸の甲冑は幼いころ着用したもので、やや小ぶりです。昇りはしごは文字通り、上へ上へとどんどん昇っていく喜ばしい吉祥の文様です。父昌幸も同じ昇りはしごの甲冑を持っていました」(北川館長) 幸村の甲冑は「鉄二枚胴具足」。実戦的な重装備で、威厳が漂う。「ヨーロッパの騎士の甲冑を模した南蛮胴と呼ばれる甲冑です。胴は鉄砲の玉を通さない厚い鉄で作られています」(北川館長) 末長く栄えよとの願いを託され、苦難を長寿で乗り切り真田家を繁栄させた兄信幸。歴史的大戦に身を投じ、存分に戦い華々しく散った弟幸村。ふたりの対照的な生き方が、仲良く並んだ甲冑からも伝わってきそうだ。 展覧会は3月16日まで。詳しくは大阪城天守閣の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)