僕はこれからも「正しくないこと」を書いてしまうだろう――親ガチャで圧勝するも苦悩だらけ、小佐野彈という生き様
上梓したばかりの小説『僕は失くした恋しか歌えない』は、そんな自らの体験をベースにした。編集者から提示されたテーマは「小佐野版・伊勢物語」。 「『伊勢物語』の主人公とされる在原業平は、当時としては超親ガチャ勝ち組のクソイケメン。貴族でモテモテ、時代のアイドルでした。それでも、業平は作品の中で悩み苦しんでいる。『こういう境遇だからこそ』の葛藤って、いつの時代にも普遍的にあるものなんじゃないかと思う」
日本はイケメンがいっぱいいるけど、台湾のほうが過ごしやすい
コロナ禍はほぼ、会社を経営する台湾にいた。それまでは2週間ずつ、台湾と日本を行き来する生活だったという。 「日本は、食べ物の選択肢と、イケメンがいっぱい。まあ好みの問題なんですけど、街を歩いていても、パッと惹かれる男が多くて、楽しいなって。でも生活は、台湾の方が過ごしやすいかな。LGBTの人たちもカミングアウトしやすい環境だし、僕の場合、さらにADHDなので、時間を守るとか、計画通りにやるのがすごく苦手なんですけど、台湾はこんな僕に対してすごく寛容で、生きやすい場所ではありますね」 ADHDと診断されたのは、30歳を越えてから。 学生時代から、自律神経失調症と強迫性障害で、不眠に悩まされてきた。 酒量のコントロールも下手で、潰れるまで飲んでしまう。歌人デビューしたての頃、飲み過ぎてタクシーの運転手に交番で降ろされてしまい、これが母親の逆鱗に触れた。 「『いっぱしの芸術家気取りで、警察のお世話になるなんて』から始まって、あらゆる角度からダメ出しされまして。これがかなり堪えました。ちょっと僕、酒の付き合い方も含めて、何かおかしいぞ、と思うようになって。病院に行ったら診断された、という感じです。まあ、昔から自分でも変だなとは思っていたし、周囲からズレているねと言われてもいたので、納得した感じなんですけど。アルコール依存症になる確率も高いから、酒も控えるように言われて、今は飲んでいません」 両親は小佐野が11歳のときに離婚。小佐野にとって母親は、特別な存在だ。共依存的な関係性を自認し、母がいなくなることが人生の最大の恐怖だ、とためらいなく言い切る。 「母が死んだら、僕はたぶん頭がおかしくなると思う、後追いをするかもしれないから止めてくれって、歴代の彼氏に言ってきたんです。それで大体『重い』って捨てられる(笑)。田嶋陽子さんの『愛という名の支配』では、田嶋さんはお母さんに独立宣言をしますけど、僕はいまのところその勇気がない。特別すぎる存在です」 日本に帰れなかったコロナ禍の1年半、物理的に距離が開いたことで、冷静に母親との関係を見直せた。 「それでも、ずっと隠しごとをしてきたこと、いわゆる『普通』の生き方ができないことに対する申し訳なさから、完全に解放されることはない。僕の心に巣食っている、このじんわりとした罪悪感は、ひょっとしたら一生つきまとうのかもしれません」