僕はこれからも「正しくないこと」を書いてしまうだろう――親ガチャで圧勝するも苦悩だらけ、小佐野彈という生き様
胸に秘めた将来像は「BLの主人公」
「小学校の同級生や先輩がみんな特殊だったんですよね。文集に書かれた『将来の夢』は、たとえば伊藤くんなら『イトーヨーカ堂の社長』で、中曽根さんは『総理大臣』とか、家業になるわけです。もちろん、野球選手とかサッカー選手って書く子もいるんだけど、僕、けっこう物わかりがいい方だったので、『兄貴がいるから、僕が後継ぎになることはないな』って。だから、『国際興業の副社長』って書いてました。慎ましやかでしょう(笑)」 もちろん、本当の心のうちは違った。 「『将来の夢、お嫁さん』に近かった。僕の密かな将来像っていうのは、『BLの主人公』。設定として、田舎町の団子屋だか煎餅屋だかの超イケメンのぶっきらぼうな男と恋に落ちて、一緒に商店街で愛される店を切り盛りする……みたいな。いまだ叶わぬ夢(笑)」 名家の子女が通うことで知られる慶應義塾幼稚舎。当時フォーブスの日本長者番付トップ10のうち4人の子女が小佐野の同級生だったという。小佐野は作品にもさまざまなセレブ仰天エピソードを登場させるが、スケールが大きすぎて、妬むことすらできない。そこが、面白い。 「幼稚舎って、校門前にお迎えの高級車がずらっと並んでるんでしょう、ってよく言われるんですけど、実際は送迎禁止で、公共交通機関使用がルールだったんですよ。自主性は重んじる校風だったけれど、体育とかすごく厳しかったし、生徒もベーゴマとかビックリマンシールとかに夢中で、いわゆる『セレブ学校』という感じではなかったと思います。とはいえ、ロッキード事件の余波もあり、まだ小佐野家がけっこう有名だった頃なので、うちのじいちゃんが心配して、僕たち兄弟が低学年の頃、警察OBのボディガードを付けてくれていたみたいです。僕は卒業するまでその存在を知らなかったんですけど、兄貴が下校中に歩道橋で襲われかかった時も、その人が助けてくれてたんですよね」
僕は跡継ぎではないけれど……隙を見せることは許されなかった
子どもの頃から、海外旅行は当たり前。空港もホテルも、ほぼ顔パスだった。幼稚舎の同級生たちは同じような境遇だったので、金持ちを揶揄する逆差別を体験したこともない。 「社員は家族」と、何度も祖父に言い聞かされてきた。膨大な従業員を抱える大企業のトップとして、後ろ指をさされてはならない、幼い頃からそう教育されてきた。年に何度もラグジュアリーな海外旅行に連れて行かれたが、いつも関係者の視線を気にして、品行方正であらねばならなかった。セクシャリティは、もちろん露呈してはならない。精神的に不安定な時期が何度もあったが、メンタルクリニックへ行くことも、小佐野家の人間としては「恥ずかしいこと」という空気があった。隙を見せることは、許されなかった。 「僕は跡継ぎではないけれど、でも将来兄を補佐するかもしれない人間が病んでるみたいに思われるとすごくよくないっていう、本来の世間とはまた別の意味での『会社という世間』があったりといった意味では、特殊な環境だったなって思います」 「2004年に一度、僕たちが持っていた株や経営権を全部奪われてしまって、幸いお金とか家とかは残りましたけど、ただ、会社というバックグラウンドは、全部失った。そのときに、自分のまわりにいたのに離れていった人も見てきたし、こう、さーっと人が消えていくさまとかも見て、それがすごい現実だなと」