<独占インタビュー>山本昌、パドレスから臨時コーチを打診されていた
――中日以外のチームの指導者は考えられない? 「お世話になった中日には、絶対に恩返しをしなければならないよね。でも、もう50歳だから(笑)。時間がない。30代、40代ならドラゴンズのユニホームを着ることだけを考えたのかもしれないけれど、今後、2、3年ネット裏で、勉強をさせてもらってタイミングや縁があれば、例えどのチームであっても教えることにチャレンジしてみたいという気持ちはある。実際、このオフにメジャーのチームからの話があったからね」 ―え? どこから? かつてユニホームを着たドジャース? 「パドレス。パドレスのフロントには、アイク生原さんの義理の息子さんのエーシー興梠さん(環太平洋オペレーションアドバイザー)がいるので、先月、来日されたときにプレラーGMらと食事する機会があったんだよ。『アメリカでは肘、肩を故障する選手が多くて困っている、あなたは50歳までプレーしたけれど、一度も痛めなかったらしいね、どうしてなんだ?』と聞かれたので、僕の肩、肘を故障しないための独自理論を語ったら、いたく感激してくれてね。『ぜひキャンプで選手に教えてくれないか』と言うんだ。まあ社交辞令だと思っていたんだけど、後日、本当にオファーが来た。春キャンプ期間だけの数週間の臨時コーチ。僕自身の勉強のためにも、ぜひ行きたかったけれど、すでに外せない仕事がいくつか決まってしまっていてね。泣く泣く断った。ただまた来年もお話をいただけてタイミングが合えば、なんとか実現したいんだけどね」 故・アイク生原さんは、ドジャースのフロントだった人で山本昌が若手時代にドジャース傘下のチームに派遣されたときに、のちに代名詞ともなるスクリューボールを伝授してくれた大恩人。その故・アイク生原さんの娘婿がエーシー興梠氏で、ずっと親交を続けていた。パドレスは、日本を中心にとしたアジア市場の開拓に積極的で、前楽天でドジャースでもプレーした斎藤隆氏をフロント入りさせるなどし、先月は日本で野球教室やトライアウトを開催した。フロント首脳陣も大挙して来日。その際、山本昌は、エーシー興梠氏と共にパドレスフロントと食事を共にして、臨時コーチ話が具体化したという。 ――来年から50歳にしての野球評論家デビューか。これも聞いたことない(笑)。 「日本シリーズを解説の仕事で見にいったときに練習風景を見るだけで楽しかった。32年間、中日以外の練習を見る機会はなかったからね。球団によって、こんなに違うんだなと。キャンプは全球団回る予定。キャッチボールの仕方から見たいね。ブルペンでの作り方とか、球数とか。シーズンに入ると、パ・リーグの野球も楽しみだよ。DHを使った作戦面。9番にピッチャーのいない打線に対して、ピッチャーが、どこでどう力を入れて投げていくのかも」 永遠の野球少年の第二の野球人生のスタートに乾杯! (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)