株デビューはビギナーズラック!? 世界の鉄鋼王A・カーネギー(上)
よい卵をみんな1つの籠に入れて、その籠から目を離さない
カーネギーはキーストン社がミシシッピ川に架ける鉄橋工事を受注すると、資金集めにJ・P・モルガンの門をたたく。巨額の資金がいる工事のため社債の引き受けを頼み込む。カーネギーが「この橋こそはアメリカ大陸横断の最重要関門になるのです」と熱っぽく説いた。モルガンもやっと「よかろう」と応諾してくれた。モルガンの信用を得て、カーネギーの事業は一段と弾みがつく。 やがてカーネギーは本拠をピッツバーグからニューヨークに移すこととなる。工業の町ピッツバーグと金融・商業の町ニューヨークでは町の空気がまるっきり異なっていた。 「ニューヨークでは実業界の人たちで、多少とも株に手を出さない人はいないといってよい。~投機界の全分野が次々と最も魅惑的な形で私の前に展開されたのである」(同上) 当時ニューヨーク・ウォール街で飛ぶ鳥を落とす勢いのジェイ・グールド(1836-92)から甘いささやきを受ける。怪物グールドについては内村鑑三がこう語っている。 「彼は生きている間に2,000万ドル溜めた。そのために彼の親友4人まで自殺せしめ、アチラの会社を引倒し、コチラの会社を引倒し、グールドは金を溜めることを知って、金を使うことを知らぬ男であった」 そんな悪名高い男がいわく、「わしは近くペンシルベニア鉄道を買収する。君に経営を任せようと思うが、引き受けてくれるかい?」 この時カーネギーはきっぱりと断る。恩人スコットが副社長を務めるペンシルベニア鉄道の社長になって、スコットを指図するようなことはとうていできない相談であった。 カーネギーの事業は鉄道、橋梁、製鉄、金融などに広がっていく。「1つの籠に手持ちの卵をみんな入れてはいけない」と投機の金言を心掛けてきたカーネギーが突如、宗旨替えする時がくる。 「よい卵をみんな1つの籠に入れて、その籠から目を離さない」と一局集中主義に大転換する。 カーネギーは鉄鋼の生産に全力を集中し、その道の最大手になろうと決心する。イギリスで開発されたばかりのベッセマー製鋼法を採り入れ、カーネギー製鋼所を設立、1881年には早くも本家本元のイギリスを抜いて世界一の製鋼所となる。石井白露はその繁昌ぶりを『最近米国成功十傑』の中でこう描いている。 「世界製鋼の中心は今やピッツバーグにあり、ピッツバーグの中心はカーネギー工場これなり。天を摩する大煙突は林のごとく、空をおおう煤煙(ばいえん)は雲のごとし。大車輪、大鉄槌(てっつい)の響きは昼となく、夜となく、ごうごうとして満都の耳目を聾(ろう)せしむ。まことに世界の壮観なり」 カーネギーは押しも押されもせぬ世界の鉄鋼王となる。<(下)に続く> 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)>
アンドリュー・カーネギー(1835-1919)の横顔 スコットランドの片田舎で織物工の家庭に生まれ、1848年産業革命のあおりで職を失った一家は母国を捨てアメリカに渡る。アンドリューが13歳の時だった。ピッツバーグの紡績工場で糸捲き小僧となる。ペンシルベニア鉄道に採用され、支配人から相場の手ほどきを受ける。もうけを土地に投じると石油が噴き出し、奇利を博し、鉄鋼王への道を歩み始める。1901年突如、鉄鋼所をモルガンに売り渡し、実業界を去る。