【証言・北方領土】歯舞群島 多楽島・元島民 河田弘登志さん(2)
屋根の上で見たソ連船の侵攻
――島の地図を見ると当時を思い出しますか。 そうですね、地形どこから見ても何もないんですけど、屋根の上に上がると、ほとんど見えます。島中が見えるっていうくらいですよ。ですから、終戦後、9月になってから、ソ連軍が来たときも、船が入ったのを見てましたですよ。屋根の上、上がって見ました。 ――そのとき、ソ連の船はどれぐらいの大きさで何隻来たんですか。 1隻だと思ってんですよね。そばに行ってないから、どれくらいの大きさかっていうことは。当時そんな大きな船見たことないから、それなりの大きなものだなと思ったんですよ。今でもはっきり、船体を、三色に分けたわけでないですけども、黒主体で、黒と赤と黒というふうに塗ってたのを覚えてますね。 ――人が降りてきたのは見えましたか。 いや、人降りたのは見えないですね。後に上陸して、海岸づたいに兵隊が行ったんですけれども、私のうちにも入ってきてますから、当然見てますしね。一番先に、一般の兵隊が入ってくる前に、偉い隊長格でしょうね。その偵察に行った兵隊が途中で、何か出くわしたんですね。兵隊が手綱を持って、隊長が馬上から、きょろきょろ、きょろきょろ、あっち見こっち見しながら、銃を持って行ったっていうのは、もう目の前すぐ、10メートルか15メートルくらいのところ通ってますから、しっかり見てました。 ――ソ連兵が家に入ってきたときはどういう様子でしたか。 土足で入ってきましたから。私のうちは新築して、入ってから幾らもたってないんですよ。8月、終戦のときにはまだ工事中だったですから。ですから、8月の末ころ、新しいうちに引っ越してから1週間経ってなかったのかな。そこに土足で入ってきたもんですから、びっくりしましたよ。子供が裸足で入ってきたら叱られるでしょう。 そして、何かわかるような、わかんないような大きな声で入ってきて「アメリカ」っていうふうに聞こえたんですよ、「アメリカ、アメリカ」って。入ってきたとき、母親と私たち子供だけだったと思うんですよね。後で母親なんかに聞くと、日本の兵隊をかくまっていないかどうかっていうことがあったですね。それから、銃とか隠し持ってないか。銃で突くんですよ、天井を。母親の背中に隠れながら黙って見てましたですよ。 ――何人ぐらい入ってきましたか。 2人。大体、聞くと、2人1組で全部入ってきてんですね。 ――家は平屋ですか、2階建てですか。 今のような2階建てじゃなくて昔の家は、平屋建てでも屋根の勾配が高い、きついんですよね。そうすると、空間ができるでしょ。そこに部屋を取ると、そういうくらいの2階ですよね。