林マヤの食の考え方を変えた経験 痩せすぎモデル時代と「借金1億円」働きづめで倒れた過去
茨城県守谷市に移住し、野菜作りに励んでいる元パリコレモデルの林マヤさん(66)。これまで食を疎かにしてきたが、価値観を変えたのは二つの経験だ。AERA 2024年5月13日号より。 【写真】最も痩せていた30歳頃の林マヤさんはこちら * * * 1980年代のモデル時代は「痩せていればそれでいい」という極端な考え方しかありませんでした。24歳くらいの時に、運よくパリコレに出るようになってからはこの思いが加速。私の身長は171センチで、パリコレモデルの中では低い方です。世界中からスタイル抜群のモデルが集まる中、いつ飽きられるかという不安もあり、導き出した生き残り策が「とにかく痩せること」。身長が低くても痩せていれば手足は細く長く、身長が1センチでも高く見えるかな、と。 その頃はもっぱら「1品目ダイエット」。1週間アイスクリームだけとか、誰かにパイナップルで痩せたと聞けば、パイナップルだけとか。1日3食、それしか食べないから妙な痩せ方をしていくんです。 今振り返るととんでもないですが、当時は自分の体がガリガリになっていくのがうれしくてしょうがなかった。「これで世界的に通用するスーパーモデルに近づいている!」って。東京とパリを行き来しながら、30歳を迎える頃まで1品目ダイエットを続けていました。 肌はボロボロになるし、生理は止まる。まったく健全ではなかったけど、食事を顧みることはなかったんですよね。肌荒れはファンデーションを厚塗りすれば照明で飛ぶし、栄養が足りないと言われたら20種類超のサプリメントを手のひらに山盛りにして一度に飲んでいました。ステージ上で輝ければ何でもよかった。健康よりも「細くてかっこいい林マヤでいること」が優先されていました。
■食事は生きる喜び その後、30代半ばにモデルを辞めて歌手になったんですがうまくいかず、1億円の借金を抱えてしまいました。食べるものも買えず、猫用の缶詰で食いつなぐ毎日。限界を感じてパートナーと一緒に「自殺の名所」である山梨県の青木ケ原樹海に向かったんですが、そこで遠くにソフトクリームののぼりを見つけたんです。ちょうど一つ分の小銭が残っていて「最後に食べたいね」と二人で分け合いました。こんなに美味しかったのかと、食べることのありがたさがその時ようやくわかったんです。同時に、生きる喜びも感じました。 人生をやり直そうと思い、その後は朝から晩まで働きまくって、16年かけて借金を完済。ただ、借金返済のために食費も切り詰めていたので栄養失調で倒れてしまいました。モデル時代の無茶と働きづめで倒れた経験。この二つが私の食に対しての考え方をがらりと変えました。 健康にいいオーガニック野菜を自分で作ろうと、茨城県つくば市に畑を借りました。育てていたのはスライスすると花びらみたいに見える小さなトマトや、紫と白の縞模様でフェアリーテイルと呼ばれるナス。見た目もかわいいし、本当に美味しいです。2009年、同県守谷市に移住して本格的に野菜作りを始めました。 食は本当に大事。痩せれば何でもいいと尖っていた自分が嘘みたいに、気持ちが前向きに明るくなりました。野菜は土が元気じゃないと大きくならない。人間も同じです。健全な精神は健全な肉体に宿る。まさにそれを実感している毎日です。 (編集部/秦正理) ※AERA 2024年5月13日号
秦正理