「先祖代々の土地が沈む」美しい故郷は巨大ダム湖の底に…国策で立ち退いた300人の「その後」
少年時代に毎日眺めていたSLへの憧れが高じ、高校を卒業後は国鉄に就職した。その前年の1963年には、会津川口―只見間が田子倉ダム専用鉄道から国鉄に編入された。目黒さんは只見線の線路点検や除雪などを行う保線員として40年以上働いた。 ▽「田子倉なしに日本の戦後復興は語れない」 昨年10月、田子倉出身の手塚スミ子さん(76)と田子倉ダムを訪れた。2022年まで田子倉の歴史を紹介する資料館でガイドを務めていた手塚さんによると、移転時のことを覚えている田子倉出身者はもう10人ほどしかいないという。 「あと10年もしたら田子倉の記憶を話せる人はいなくなってしまう。けれど、田子倉なしに、日本の戦後復興は語れない」。手塚さんは力強く訴えた。 ダムの横には、1973年に集落出身者らが設置した「田子倉の碑」がある。手塚さんは目の前の巨大なダム湖を見渡すと、石碑に手を添え、刻まれた文字を読み上げた。
「この湖の底に私たちのふるさと田子倉がある。私たちは国家的要請にしたがい、全戸移転のやむなきにいたり、第二の故郷を求めて四散した」 桃源郷が沈んでから今年で65年。湖面は、変わらず静かに水をたたえていた。