朝ドラ『虎に翼』穂高重親のモデル・穂積重遠氏の華麗なる出世 貴族院議員から皇太子の最側近へ
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』第12週「女房は掃きだめから拾え?」では、寅子(演:伊藤沙莉)がかつて明律大学女子部で共に学んだ大庭梅子(演:平岩紙)と再会。女子部の“魔女5”では、桜川涼子(演:桜井ユキ)以外の戦後が描かれている。さて、彼女たちの恩師であり、女子部創設の立役者だった穂高重親(演:小林薫)はその後どうしているのだろうか。今回はモデルとなった穂積重遠氏の生涯を追う。 ■エリート家系に生まれて外遊で見聞を広める 穂積氏は、明治16年(1883)生まれ。祖父は新紙幣でも注目されている渋沢栄一であり、政財界の重鎮を多数輩出するエリート一家に生まれた。 1908年に東京帝国大学卒業した後、同校で講師として教鞭を執り、2年後の1910年には助教授に昇進している。1912年に欧米留学が決まり、1916年までの約4年間をドイツ、パリ、ロンドン、そしてアメリカで過ごしている。海外で見聞を広めたことはその後の彼に大きく影響を与えた。とくに社会教育や女性の権利・地位に関する問題を重要視するようになった背景にはこの時の経験がある。 帰国後は東京帝国大学の教授となって、民法、法理学講座を担当した。その後、3回にわたって法学部長も務めている。 生涯を通じて数々の功績を残した穂積氏だが、やはり特筆すべきは明治大学女子部創設だろう。弁護士法改正そのものにも多大な影響を与えた穂積氏だったが、作中でも描かれたとおり女性法律家の育成に注力していた。明大女子部の創設はその大きな成果と言ってもいいだろう。 そして、寅子のモデルである三淵嘉子さん、田中正子さん、久米愛さんの3人が女性で初めて高等試験司法科に合格して弁護士になるという歴史的な出来事に繋がった。3人はいずれも明大女子部で学んだ経験があった。 ■戦後の動乱期を皇太子側近として過ごす 昭和18年(1943)に名誉教授になると、昭和19年(1944)には貴族院議員に勅選された(父の死後に男爵の地位を襲爵していた)。そして、終戦間際の昭和20年(1945)8月10日に東宮職が設置され、穂積氏は初代東宮大夫兼東宮侍従長に就任。『昭和史の天皇〈第5〉』(読売新聞社)によると、8月15日は皇太子の疎開先だった日光におり、玉音放送の内容について皇太子に直々に説いたという。 また、皇太子の教育機関である「御学問所」の総裁、そして東宮御教育参与も務めていた。戦後のこの時期に次代天皇の最側近となった穂積氏のプレッシャーと使命感は察するに余りあるだろう。 その後、昭和24年(1949)2月に、最高裁判所判事に任命され、2年後に68歳でこの世を去るまで司法の最前線に立ち続けたのだった。 <参考> ■明治大学史資料センター「三淵嘉子(みぶちよしこ)―NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の主人公のモデルとなった女子部出身の裁判官―(法曹編)」 ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
歴史人編集部