え、早すぎ!? 欧州から一瞬で帰ってきた日本人(10)契約続行が幻に…。夢の海外挑戦は最悪の結果
日本サッカー界では、欧州クラブで主力として活躍する選手が続々と出てきている。だが、過去を遡ってみると、実力があるにも関わらず短期間で海外挑戦を終えて日本に戻ってきた選手たちもいる。今回は、様々な理由により欧州クラブ在籍1年未満で帰国した日本人選手をピックアップして紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
FW/MF:坂田大輔 生年月日:1983年1月16日 移籍先:横浜F・マリノス→アリス・テッサロニキ(ギリシャ) 在籍期間:2011年1月~2011年8月 坂田大輔という名を聞くと、横浜F・マリノス時代の彼を想起するファンも多いだろうが、2011年には短期間ながら海外挑戦を経験している。 横浜FMユースで育った坂田は、2001年にトップチーム昇格。2003、2004シーズンはレギュラーFWとして横浜FMのJ1連覇に貢献した。この頃はラツィオとの移籍交渉を進めていたが、結局負傷により破談となっている。 夢の海外挑戦のチャンスが訪れたのは2011年1月、間もなく28歳の誕生日を迎えようかというタイミングだった。ギリシャ・スーパーリーグの強豪であるアリス・テッサロニキは完全移籍で坂田を獲得しており、スピード豊かな日本人アタッカーに多くのものを期待していたはずだ。 だが、結果的に坂田の海外挑戦はわずか半年で終了することになる。坂田本人に原因があったわけではなく、クラブの財政悪化によって契約続行が露と消えたのだ。 当時のギリシャは国債の暴落で世界的不況の発信地となっていた。デフォルト(債務不履行)の危機すら叫ばれるような国内情勢は必然的にサッカークラブにも影響を与えており、坂田とアリス・テッサロニキのつながりは2011年8月で切れてしまった。 在籍時は本職のFWよりもSHとして起用されることが多く、坂田はリーグ戦6試合で無得点に終わっている。UEFAヨーロッパリーグでマンチェスター・シティと対戦する機会があったのは大きな収穫だったが、チームは次シーズンの欧州カップ戦出場権を得る5位以内でのリーグ戦フィニッシュを逃した。 坂田にとって、ギリシャでの日々は悔しさの残るものだったのではないだろうか。
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