77年添い遂げたジミー・カーター元大統領と妻ロザリンの感動ラブストーリー
ジミー・カーターは、エレノア・ロザリン・スミスを、彼女が生まれたその日から知っていたと言えます。 1927年8月18日、ジミーの母親で看護師のリリアン・カーターは、近所に住むフランシス・アリー・スミスの第一子であるエレノア・ロザリンの出産を手伝いました。そして翌日、彼女は息子のジミーを連れて、この新しいご近所さんに挨拶に行ったのです。 ふたりが交際を始めたのは、それから長い年月が流れた1945年、ジミーが海軍兵学校の最終学年が始まる前の夏休みをジョージア州プレーンズの自宅で過ごしていたときでした。ジミーの妹ルースはロザリンの友達で、ロザリンが語るところによると、「ルースと私は、ずっと彼と私をくっつけようとしていました」 ある7月の夜、ジミーはメソジスト教会の外でロザリンを見つけ、デートに誘います。その夜、二人は映画館へ。「空には満月、会話は気楽で、私は恋をしていた」と、ロザリンは後に回顧録『プレーンズから来たファーストレディ(原題:First Lady from Plains)』で綴っています。そして翌朝、ジミーは母親に対して、彼女と結婚するつもりだ、と宣言したのだとか。 ジミーは、2月にロザリンが海軍兵学校に会いに来た際にプロポーズしますが、答えは「ノー」。「それから5月末まで、彼女は『ノー』と言い続けました」とジミーがオプラ・ウィンフリーに語ったのは、2015年のこと。「私はプロポーズし続け、ついに彼女もOKと言ってくれたのです」 そして1946年7月7日、ふたりはジミーが初めてロザリンをデートに誘ったメソジスト教会で結婚。
その後の6年間で、ジャック(1947年)、チップ(1950年)、ジェフリー(1952年)と、3人の息子に恵まれ、4人目の子で一人娘のエイミー・リンは、1967年に生まれました。 ジミーは大統領選挙の選挙運動中、『プレイボーイ』誌のインタビューで自身の結婚生活について語りました。ふたりは結婚生活に適応するのに苦労したそうで、「今ではお互いをずっとよく理解できるようになりました。私は結婚生活の始めにはまちがいなく相手を支配しようとしていましたが、今はそうではありません」とジミー。 「彼女は私と同じくらい強い。私よりとは言いませんが。私たちの関係の中では、彼女はあらゆる点で完全に平等で、ビジネスの決断や家族の問題ではほとんど彼女が決断を下します。彼女が私たちの個人的な関係の中でこれだけの独立性と平等を手に入れるのは大変なことだったと思います。まとめますと、昔は私たちもよくケンカをした~特に重大なものではありませんが~、でも、今ではしません」