練習グラウンドに通うバス代は1回約1万円…能登半島地震で被災した少年サッカークラブが震災後初の大会で躍動
能登半島地震によって、子どもたちの習い事やクラブ活動を取り巻く環境も大きく変わった。制限を受けながらも頑張る、輪島のサッカー少年、サッカー少女の奮闘を取材した。 被災しながら大会で躍動した輪島サッカージュニアクラブ
震災後初の少年サッカー大会
2024年6月26日。「宣誓!僕たち選手一同は今大会、全力で頑張ります。能登半島地震で大変な思いをされた方々に、僕たちのプレーで少しでもエールと元気を届けられるように頑張ります」。小学生たちが夏の石川の頂点を決める県ジュニアサッカー大会が開幕。元日の地震で被災した能登地区の選手たちは、練習場所が失われるなどの困難を乗り越え、開幕の日を迎えた。
大好きなサッカーを奪われた
輪島市を拠点に活動する輪島サッカークラブジュニア。1年生から6年生の約40人が所属している。元日の地震以降、練習できない期間を経て、4月下旬に週1回のチーム練習を再開させた。チームを引っ張るのはキャプテンの舩板優愛さん(6年)。サッカーが大好きで活発な女の子だ。 優愛さんは「楽しいです。みんなと練習できるから」と話す。震災後、家族とともに加賀や金沢に二次避難し、大好きなサッカーができない時期が長く続いた。母の船板知佳子さんは「心配でした。顔もどんよりしていたので、動かなくなった娘の姿は今までに見たことがなかった。沈んじゃって、もうサッカーやらないのかなという雰囲気でした」と当時の様子を振り返る。それでも、大会に向けてチームが始動したことで優愛さんは元気を取り戻していった。
いつもの練習場所は仮設住宅に
実は、輪島ジュニアが練習を行っているのは市内にある航空学園のグラウンドだ。いつも練習していたマリンタウンは仮設住宅になっていて、練習場所が失われた輪島ジュニアは当面、航空学園のグラウンドを借りて練習をすることになった。 慣れない環境だが、優愛さんたちはサッカーができることに喜びを感じている。輪島ジュニアの上田真也監督は「選手たちも嬉しそうですし、輪島市内でできるところがないので、すごく助かっています。サッカーしているときは地震のことを忘れて、楽しんでやってる感じなのでやってよかったのかな」と話した。 「おはようございます!」。輪島ジュニアにとって震災後、初めての大会の日がやってきた。優愛さんに緊張しているか聞くと「してない」。相手チームについては「強そう…いや、強い」と話した。輪島ジュニアの初戦の相手は小松市の符津スポーツ少年団サッカー部。この大会でこれまで2度の優勝を誇る強豪だ。 試合は序盤から防戦一方。持ち味の粘り強い守備で何とかしのぐが…コーナーキックから失点を許してしまった。強豪の力を見せつけられた輪島は0-6で前半を折り返す。それでも後半、諦めずにボールを追いかける輪島の選手たち。結果0-7で敗れはしたものの、震災後初めての大会で自分たちのサッカーを十分に表現した。