flumpool山村隆太 デビュー5周年 苦悩を語る
■メンバーやファンが支えた最大の危機 メジャーデビューしてから5年の間に、忘れられない出来事がある。初のホールツアー、渋谷公会堂でのライブ。極度のストレスから、山村は声を出せなくなってしまう。「メロディーにならない。“終わった”と思いました」と振り返る。これまで、これが成功したら次がある、失敗したら次はない、という気持ちでやってきただけに、取り返しがつかない状況へと追い込まれた。 しかし、そんな山村を支えたのがメンバーやスタッフ、そしてファンの声援だった。「誰かがやめろ、と言えばやめたかもしれない。でも、メンバーは自分をフォローしようと熱くなってくれたし、スタッフもステージ下で飲み物をいつも用意してくれたり、気を使ってくれました。観客の方も声が出ていないのは分かっていたと思います。それでも、アンコールをくれました。一生忘れられないです」。 そのときの経験が、その後の試練にも立ち向かえるメンタルの強さを与えてくれた。2010年には、全国ツアーの直前に、のどにポリープが発見されるが、そのままツアーを続行させる。「こんな声でも歌っていいかな? とお客さんに聞くと盛り上がってくれました。強い気持ちで向かっていけば、ちゃんと受け止めてくれると感じました」。 ■プロには責任がある ファンを楽しませないといけない プロとアマチュア。同じ音楽でもこの違いは大きいという。「アマチュアの頃のほうが、自由にやれていたな、と思います。楽しんでやれていた。責任がないというか。でも、プロは責任はありますからね。アルバイトして貯めたお金でチケットを買ってライブを観に来てくれる。楽しんでもらわないといけない。失敗すると、その人は、次は観に来てくれない。そういう責任がある。やぱり、プロとアマチュアは違いますね」。 プロとしてのストイックさもある。スタジオに入ると、12時間出てこないこともある。そんな日でも家にかえっても練習をする。翌朝も歌を歌う。新しい音楽性をみつけるために、他の人のライブに行くなど、常に音楽とふれあい、探究心を忘れない。