flumpool山村隆太 デビュー5周年 苦悩を語る
「入学したばかりの中学1年生を担当したんですが、彼らの目がキラキラしてたんです。『プロ野球選手になりたい』、『お医者さんになりたい』、当時の自分には口にできないような夢をキラキラした目で言っていたんです。僕はこの時まで、自分に自信を持てずにやってきたので、彼らに同じ道を歩んでほしくないと思いました」と振り返る。そして、学校で行われた合唱コンクールの場で、オリジナルの曲を披露。「『周りが反対しても進むべきだ』という内容の歌を歌ったんですが、自分が情けなくなった。もし、高3のとき、音楽で勝負していたら、違う人生があったかも、と。失敗したとしても、新しい道が生まれたかも、と思い、こういうメッセージを歌で伝えていきたいと思いました」、とそれまでの保守的な考え方をやめ、音楽の道を進むことを決意する。 ■諦めかけたとき大きなチャンスが訪れる それでも、簡単に追い風が吹いてくれないのが、この世界の厳しさ。当時の集大成として作ったCDは、思うようには広がらなかった。「(ライブの)お客さんは増えない。CDは売れない。これはヤバいな、と思いました」。メンバーの中には、音楽の道をあきらめる事を考えるものも出てきていた。 しかし、それから間もなく、転機が訪れる。「事務所の人がライブを観に来てくれる、っていう話をもらいました。音楽を辞めるきっかけを探していた僕らなので、失うものはなかったですね。徹夜でライブの準備をして、全てを賭けました」。それが2008年1月。そのライブでの評価も上々で、何度かやりとりを経て、その年の夏前に契約合意にこぎ着ける。「“最強”にうれしかったですね。事務所の人がテーブルの向かいに座っていたんですが、僕らはすました顔で、“ありがとうございます”って話を聞きながら、テーブルの下で、メンバー4人でがっちり握手しましたね」。 デビューしてからは、一気に第一線へかけ上がる。配信限定だったデビュー曲「花になれ」は、配信開始から1週間で100万ダウンロードを記録する。それでも、メンバーからすれば、何が起こっているのかが理解できなかった。「デビュー直後、原宿で、2ステージで200人を集めるライブがあったんですが、自分たちで整理券を原宿駅前に配りに行こうと思って早く行きました。人が集まらないと思ったので。でも、1000人以上お客さんが並んでいるって聞かされてびっくりしました」。彼らにとっても、信じられないスピードで支持を得ていくことになる。