【独占インタビュー】浅倉カンナが打ち明けた電撃引退の舞台裏 「暗い感じの引退じゃない」と語った26歳の真意とは
考え込んでから明かした「胸の内」
7月28日、会場となったさいたまスーパーアリーナの熱気が冷めやらぬリングの上に浅倉カンナ(BLACKBELT JAPAN)は立った。そしてマイクを握った彼女は、自らの引退を宣言した。 【写真】引退マッチへ!浅倉カンナの特集ギャラリー! 「次の試合で自分の最後の試合になります。自分は高校生のころからRIZINに出させてもらって成長させてもらいました。皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。最後に王者と対戦できることをうれしく思います」 大入りの会場もどよめいた。17歳でMMAに本格挑戦して以来、格闘技一筋で歩んできたカンナが引退をするという事実に、誰もが驚きを隠しきれなかったのかもしれない。かくいう筆者も決断を初めて耳にした時には「まだやれるだろう」という想いがこみ上げたのが、正直なところだった。 なぜなら、ちょうど1年前に本人から「次も勝ちたいなって思いました」という言葉を聞いていたからだ。昨年7月の「超RIZIN2」に来場していたカンナは怪我から回復。本格的な実戦復帰に向け、本格的に始動しているタイミングでもあった。この時の言動から「引退」の二文字など全くと言っていいほどよぎらなかった。 「そうでしたか。無理していたのかもしれませんね(笑)」 当時を本人に振り返ってもらうと、落ち着きを払った笑みを浮かべながら、そう回顧する。カンナ曰く、あの時にはすでに引退を決意していたという。 「引退を決めたのは去年の11月ぐらいだったと思います。正直、これっていう決定的な何かがあったわけじゃないんです。でも、この2~3年、なんかモヤモヤしていて。そんな中で、前回のV.V Mei(フリー)さんとの試合(23年4月/『RIZIN LANDMARK 5』)を『勝ったら気持ちが変わるかもしれない』と思って戦ったんですけど、結局、勝っても気持ちが盛り上がることがなくて。そこから考えて決めました」 引退はアスリートにとって一大決心。しかし、カンナの表情は穏やかだった。キャリアを振り返る目に曇りはなく、どこかスッキリしているようにも見えた。そこで「燃え尽き症候群みたいなものがあったのか」と単刀直入に訊いた。 すると、彼女は数秒考え込む。そして、胸の内に秘めた想いを明かしてくれた。 「それで言うと、SARAMI(パンクラスイズム横浜)戦(22年4月/『RIZIN 35』)の後に、燃え尽きみたいな状態になったんですよね。でも、すぐ後にトーナメント(22年7月/『RIZIN女子スーパーアトム級ワールドグランプリ1回戦』でパク・シウ(KRAZY BEE)選手との試合があって、そこで負けて……今思えば、その辺から(引退を)考え始めていたのかなと思います。 今までは試合が終わったら早く次の試合がしたいと常に思っていたし、RIZINの会場に行って人の試合を見たら自分も熱くなって『試合がしたいな』っていう気持ちがあったんです。でも、その頃からそれがなくなってきていたんです。本当に試合をするのも『しんどいな』っていう感じになってましたね」
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