なぜ「袴田事件」のような冤罪はつくられ続けるのか? "冤罪弁護士"の著者がその理由を解き明かす!
――その大阪地検特捜部がプレサンス元社長冤罪事件で冤罪を繰り返した。また、警視庁公安部と東京地検も「大川原化工機事件」では3人の会社役員を冤罪で逮捕して長期間にわたり勾留。そのうちのひとりが勾留中に適切な病気の治療を受けられずに亡くなるという、悲惨な出来事も起きています。なぜ冤罪は繰り返されてしまうのでしょうか? 西 本書にも書いたように、"人質司法"と呼ばれる長期勾留の常態化、警察や検察側の見立てに合わせた強引な取り調べと自白への依存、階層化された組織の中で異論が排除される傾向や思い込みによる「確証バイアス」など、冤罪が生まれる背景にはさまざまな要因があります。 しかし、実際に冤罪事件が起きると、例えば「あれは大阪地検特捜部の問題だ」といったように、特定の組織の問題や検察官、裁判官といった個人の資質の問題に矮小化されてしまい、それに対する批判は起きても、司法全体として「過去の冤罪から学び、将来の冤罪を防ぐために生かそう」という意識や取り組みにつながっていない。 例えば、村木事件も担当検察官を処罰し、大阪地検特捜部の問題だと矮小化され終結してしまいました。取り調べの録音・録画のような再発防止策が講じられても、すぐに形骸化してしまっています。その結果、プレサンス元社長冤罪事件という同じような過ちが繰り返されてしまいました。 もうひとつ、私がこの本でも強調しているのが「人は誰でも間違える」という現実を前提に考えることの大切さです。どんなに優秀な人も、どんなに努力している人も間違える可能性があるという大前提に立てば、刑事事件における冤罪を完全に防ぐことは不可能です。 ところが日本の司法の中には一種の「無謬性神話」というか「自分たちに与えられた国家権力は国民の信頼に支えられている以上、絶対に間違ってはならない」という意識があって、それが「冤罪という過ちから学ぶ」という反省と学びにつながることを妨げている面もあるように感じます。 ――司法だけでなく、メディアや、その報道に触れる人たちにも冤罪を生んでしまう要因がありそうですね。 西 そうですね。「推定無罪」や「疑わしきは被告人の利益に」という原則があります。それは、私たち法律家だけでなく、メディアの報道やそれを受け取る人たち、さらにSNSなどを通じて個人的に発信する人たちも同じで、「人は誰でも間違える」以上、誤認逮捕や冤罪も起こりえるのだから「逮捕」=「犯人」ではないという前提で考える必要があります。 ――袴田巌さんの無罪が確定した今、この冤罪事件が日本の死刑制度を巡る議論にもつながってゆくのでしょうか? 西 徐々にそうした議論が広がっていくのだと思いますが、まだまだ足りないと感じます。 袴田さんは世界一長く収監された死刑囚としてギネスの認定記録にもなっていて、その人が再審で無罪になり、死刑判決の決め手となっていた証拠が捜査当局の捏造だったと裁判所が認定したという、本当にトンデモない事件。そんな事例を生んでしまった日本でこそ検証や研究を率先して行ない、その議論を世界中に広げるべきだと考えます。 ■西 愛礼(にし・よしゆき) 1991年生まれ、神奈川県川崎市出身。一橋大学法学部卒業。裁判官を経て弁護士に転身。後藤・しんゆう法律事務所(大阪弁護士会)所属。プレサンス元社長冤罪事件弁護団、角川人質司法違憲訴訟弁護団、日弁連再審法改正実現本部委員などを務める。イノセンス・プロジェクト・ジャパン、刑法学会・法と心理学会所属。守屋研究奨励賞・季刊刑事弁護新人賞。初の著書『冤罪学』(日本評論社)は専門書ながら、多くの読者から注目された ■『冤罪 なぜ人は間違えるのか』インターナショナル新書 1056円(税込) 最高裁の死刑判決から44年の時を経て、ようやく無罪が確定した袴田事件。司法の誤りによって無実の人の生活を奪い、最悪の場合、命すら奪いかねない「冤罪」の悲劇はなぜ繰り返されてしまうのか? 実際に「プレサンス元社長冤罪事件」などの冤罪事件を担当し「冤罪学」の必要性を提唱する若き弁護士、西愛礼氏が、冤罪の生まれる背景やメカニズムを解き明かし「過去の冤罪から学び、将来の冤罪を防ぐ道」を示す一冊 取材・文/川喜田 研