83年の大噴火で約400棟を埋めて焼き尽くした「三宅島」。最終避難バスが出発した10分後には溶岩流が…その噴火の歴史をたどる
◆活発な火山活動の連続で自然の楽園はたびたび被災 三宅島は東京から南に約180kmの太平洋上に浮かぶ島だ。「東京から」といっても、この島もれっきとした東京都で、住民の住居表記は東京都三宅村となっている。 東西約7.5km、南北約8.6km、周囲約38.4kmの小さな島で、中央には標高約775mの雄山がそびえている。上空から見ると、山頂近くはぽっかり大きく落ちくぼんだカルデラ[*]となっている。 人家などは雄山の麓の海沿いに多く集まり、神着(かみつき)、伊豆(いず)、伊ヶ谷(いがや)、阿古、坪田の五つの集落を形成している。天然記念物のアカコッコなど多くの野鳥が生息する鳥の楽園でもある。 伊豆諸島の島々はいずれも火山島だが、なかでも三宅島は非常に活発に噴火活動を繰り返している。雄山は古くからたびたび噴火しており、その記録は平安時代から残っている。江戸時代にも5回、その後もおよそ20~70年の間隔で大きな噴火の記録がある。 大きな被害をもたらした1983(昭和58)年の噴火の前にも、昭和になってから2度の噴火災害を記録。とくに1940(昭和15)年の噴火は死者11人、負傷者20人の被害を出し、その数は20世紀以降最悪といわれている。 島では噴火の前年末や当年5月に赤場暁(あかばきょう)や山腹から水蒸気が上がり、また、1週間ほど前から地熱が上昇したり、地鳴りや噴気が観測されたりするなど前兆現象が見られた。 7月12日に雄山北東の標高200m付近で噴火が始まると縦に割れ目が走り、火柱が並んだ。溶岩は当時の神着村、坪田村など島の北東側へと流れ下り、赤場暁湾に到達。この日の噴火で、ひょうたん山というスコリア丘(きゅう)[*]が形成された。 *カルデラ……火山活動によって形成された急な崖で囲まれた円形やそれに近い形の凹地(くぼち)。 *スコリア丘……スコリアと呼ばれる玄武岩(げんぶがん)質マグマの噴出によって生じる火山砕屑物(さいせつぶつ)が地面に降り注いでできた地形。噴石丘の一種。
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