間質性肺炎を患った料理家・枝元なほみさん…病気を受け入れて見つけた新たな使命は
料理学校に通わないまま料理研究家になってよかったと思う理由
そのときできることを見つける姿勢は料理研究家のキャリアにも通じています。実は枝元さんは料理研究家になるつもりはなかったそう。 「大学で演劇を始め、卒業後も続けていたのですが、30代前半で劇団が解散してしまったんです。困っていたら、ちょうど無国籍料理のレストランでアルバイトをしていた縁で、ライターをしていた友達が料理の仕事を紹介してくれたんです」 料理学校に通わないまま料理研究家になりましたが、枝元さんは「それがよかった」と話します。 「きっと学校に行っていたら、習ったことからはみ出して失敗するのが怖くなるでしょう? けれど私は習ったことがないから失敗する。失敗したら理由を考えて対策を練る。そのときどきで向かい合うんです。 私の座右の銘は“鍋の中を見よ”。例えば『3分炒める』といっても必要な加熱時間は食材の状態や鍋の厚さ、気温によって変わりますよね。鍋の中を見て考えるんです」
今だからできた。食品ロスをなくすために「夜のパン屋さん」を始めました
枝元さんは今、食品ロスや貧困の問題にも取り組んでいます。 「料理研究家として早い、安い、うまいレシピはもう十分紹介した。私たち世代は大量生産、大量消費でやってきたけれど、その結果、子どもたちの世代に残すべきものを食い散らかしてしまっている。子どもたちを飢えさせない、それが今の私の目標です」 取り組みの一つが、廃棄してしまう可能性のあるパンをパン屋さんから夕方に買い取り、夜に販売する「夜のパン屋さん」 差額はパンをピックアップするスタッフや販売スタッフの収入となり、ホームレス状態の人や金銭的に困っている人の仕事を生み出します。現在は東京の神楽坂、田町、大手町で販売中。 (販売日時や場所の詳細はウェブサイトをご覧ください。https://yorupan.jp/) さらに、枝元さんは食材のマルシェや炊き出しに参加したときのことをこう話します。 「食材を無料で持って帰れるイベントだと、申し訳なさそうにしている人が多いんです。けれど『こうすると生でも食べられるよ!』と世話焼きのおばちゃんとしてすすめると『試してみます』ってみんなうれしそうに持って帰ってくれる。 ボランティアや炊き出しは、助ける側と助けられる側がいるんじゃない。ボランティアをしている側だって誰かとつながり喜んでもらえるとうれしいからやっている。若い頃だったらこうした活動を偽善だと思ってできなかったかもしれませんが、今は喜んでもらううれしさがよくわかる。 “おばちゃん”になってよかったと思います」 枝元さんの挑戦はまだ続きます。 取材・文=大矢詠美(ハルメク編集部) 撮影=中川まり子 ※この記事は、雑誌「ハルメク」2024年2月号を再編集しています。
ハルメク365編集部