間質性肺炎を患った料理家・枝元なほみさん…病気を受け入れて見つけた新たな使命は
ピンチをチャンスに変えて、強くしなやかに生きる1
体の不調、お金や老後の生活の不安……悩みは尽きませんが、悩みに振り回されて日々の楽しみを忘れてしまうのは本末転倒です。悩みや不安と上手に付き合い、ピンチをチャンスへと変えた枝元なほみさんに強く、しなやかに生きるヒントを伺いました。
枝元なほみさんのプロフィール
えだもと・なほみ 料理研究家。テレビや雑誌などでレシピを紹介して活躍する他、認定NPO法人ビッグイシュー基金の共同代表を務め、廃棄になりそうなパンを販売し、循環をつくる取り組み「夜のパン屋さん」としても活動。『捨てない未来 キッチンから、ゆるく、おいしく、フードロスを打ち返す』(朝日新聞出版刊)など著書多数。
病気知らずだったのに突然、指定難病で治療法がない「間質性肺炎」に
ある日訪れた都内のマンション。インターホンを押すと「どうぞ」と明るい声が聞こえ、料理研究家の枝元なほみさんが出迎えてくれました。酸素チューブをつけて、咳き込みながら。 「ごめんなさいね、この前まで入院していたものだから」。しかし編集部員を部屋に案内すると、てきぱきとお茶を淹れ始めます。「おいしいお団子があるからぜひ食べて。お団子がおいしいと思えるって幸せなことだよね」。そこにはテレビや雑誌でおなじみの穏やかな笑顔がありました。 枝元さんが体調を崩したのは2019年のこと。普段はほとんど病院に行かず、薬も飲まない枝元さんですが、息苦しさを感じて病院へ。肺が硬くなり、酸素を取り入れにくくなる「間質性肺炎」と診断されました。 間質性肺炎は指定難病で、治療法も確立されていません。23年には新型コロナに感染し、一時は集中治療室に入りました。
思うように料理ができない…酸素チューブをつけたままテレビに出演
枝元さんはこう振り返ります。 「最初は病気の症状に振り回され、病気であることも受け入れられませんでした」。特に気がかりだったのが酸素チューブです。外見が変わるだけでなく、酸素を注入するために愛用していたガスコンロでの料理ができなくなり、IHを導入せざるを得ませんでした。 しかし、枝元さんはやがて病気を受け入れ始めます。 「酸素チューブをつけたままテレビに出たら、同じようにチューブをつけている視聴者の人たちから『励まされました』という感想が届いたんです。自分が誰かを助けることができる、と新しい“使命”をもらえたような気分でした」 料理への考えも変わりました。 「体調が悪いときは料理を作ることもしんどい。そこで具合が悪くても作れる料理を紹介したんです。例えば===ここから?===それまでモロヘイヤは刻んでからスープや汁に加えていましたが、実は葉を摘んで冷凍し、それをつぶすと粉々になって刻まなくていい。そういうアイデアを紹介したら、喜んでくれる人がいました。 これからも調子が悪いこともあるでしょうが、流されては受け入れ、乗り越える。それを繰り返し、そのときできることをすればいい。自分のごはんを自分で作る。それが今の私にとってのリハビリです」