「ええ加減にしいや!」実家暮らし歴30年の私が生活を舐め腐っていた頃の出来事【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「人になった証」です。これは、かつてお涼さんが人ではなく虫だった頃のお話。 【写真】これが30年のスネかじりののち、はじめて作った床ごはん(坂口涼太郎さん提供) 私が料理をはじめたのは30歳のとき。 それまでは実家で親の脛かじり虫に擬態して、ホットカーペットの上でごろごろしながら餌の時間を待っているような虫と化していたので、父と母も人間と同居しているというより「家に手のかかる虫がおるねん」というような認識で暮らしていたこと間違いなし。坂口家は人間ふたり、虫ひとりの世帯として成立していた。 父と母が出かけて、虫が家にひとりになってお腹が空いたとき、虫はしぶしぶ擬態を解除して立ち上がり、キッチンに向かって作るものといえばサッポロ一番かチキンラーメンで、かろうじてねぎを刻み、卵を入れるのが私にとっての料理であり、食卓にどんぶりを置いて「あーうま、あーうま」と心の中で感想を唱えながら一点を見つめて食べたあと、またホットカーペットの上に戻り、虫の姿へと擬態して、ごまふあざらしのゴマちゃんを1億倍かわいくなくした姿勢でごろごろする。 そんな30年間を過ごした私は、長すぎるサナギ期間を要して、30歳でようやく人の姿へと脱皮。父と母を「お、お前、人だったのか!!!」と驚愕させ「今まで人であることを隠していて申し訳ありませんでした!」と薄さ0.01ミリになるほど平身低頭して謝ったかと思うと瞬時にぷくっとふくらんで元の姿勢へと戻り、「と、いうわけで、キッチン道具と食器ちょうだい」と恩を仇で返しすぎるカツアゲをやってのけ、引っ越し初日から料理ができるようなお料理道具セットをひったくったのであった。 本当にあった怖い話でしかない虫生活が終わり、ようやく私は引っ越しをして、料理をはじめることになったわけだけれども、私はおいしいものを食べに行くのが好きだったし、自分の好きな味つけ、盛りつけ、テーブルセットなどのイメージは脳内にはっきりあって、ついこの間まで虫だったのにもかかわらず、私には料理や味つけの勘みたいなものがきっと備わっているだろうという謎の自信があった。 さらに料理上手な親友からおすすめの料理道具やレシピを教えてもらい、部屋にちゃぶ台すらまだないのに、キッチンは準備万端。いざ待望の料理をするために意気揚々とキッチンに立ち、親友おすすめのキャロットラペを作るべく、同じく親友推薦の新品のスライサーでにんじんを細切りにしようとスライスすれば、にんじんではなく中指をスライスしてしまい、あっ! と思った瞬間にはもう遅く、にんじんの鮮やかさに負けず劣らない赤色が私の中指から噴出した。 うそやん。こんなに見事に失敗ってするものですかね。やっぱりこれは何年も実家で虫であった私への罰ですかね。きっとそうですよね。何が料理の勘だよ。勘があったって、調理できなきゃ仕方ないんだよ。こうやって傷を負いながら父と母は虫に餌を与えてくれていたのだよ。ホットカーペットの上で身動きしない虫に対して、毎日献立を考えて、料理をしてくれていたのだよ。お父さんお母さんごめんなさい。この血はおふたりに捧げます。いままでこんな虫を飼育していただきありがとうございました。虫はようやく人になれそうです。 脈打つ中指を天井に向けて、私はベッドで仰向けになりながら血が止まるまでの間に短歌をつくった。 血はどこにささげればいい? そらにてをかかげてみてもつめたいだけで
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