上沼恵美子「イタリア旅行で離婚を切り出して8年、別居6年でも別れない理由。私が買ったマンションで暮らす夫への気待ち」
テレビやラジオにとどまらず、近年は動画配信や週刊誌連載など活躍の場を広げる上沼恵美子さん。6年前から別居を続ける夫との関係にも、変化があったと言います。(撮影:浅井佳代子 構成:平林理恵 ヘアメイク:河口智子) 【写真】「あの人は甲斐性のない石原裕次郎」夢見るようなまなざしの上沼さん * * * * * * * ◆表面だけのつき合いはもう必要ない 16歳で初めてプロとして舞台に立ってから、半世紀以上が過ぎました。人生は毎日が闘い、そして選択。何もない日なんてありません。 これは以前『婦人公論』でもお話ししましたが、なかでも衝撃的だったのが、25年続いた冠番組『快傑えみちゃんねる』が2020年に突然終了したことです。人生であんなに傷ついたことはないと思いますね。全力投球でがんばっているところを、ドーンと崖から突き落とされたわけですから。 「痛い痛い」言うて、立ち上がれないまま、膝から流れる血をぼんやり眺め続けました。22年4月頭には『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』も終わってしまって、ああ、私はテレビから淘汰されたんやなって。愛犬のベベだけが私の苦しみを理解してくれました。 でも、ベベは22年4月23日に亡くなってしまったんです。正直、神様はこれ以上の悲しみを与えるのかと思いました。ボーッとしている私を心配して、周りの人が新しい犬を飼うことを勧めてくれてね。それで1年前、豆柴のすももを迎えました。 そしてやっと半年前、「痛いなんて言ってる場合じゃない」と立ち上がったところなんです。今も落とされた崖下にいるのは変わりませんが、この状況を受け入れられるようになりました。
21年12月にユーチューブを始めたことが大きかったですね。実は私、ユーチューブは素人でもできる舞台だから、手を出したら終わりと思ってたんですよ。でも、やってみたらとんでもないことがわかりました。大阪だけのローカルタレントだろうと、発信すれば世界に繋がる!なめてはいけないと痛切に感じましたね。 最初は、再生回数が公開されるシステムに戸惑いもありました。でも半年前から数字を気にせず、老後の楽しみ、ただの趣味だと考えるようにしたんです。それから面白くなってきましてね。今は、終焉を迎えつつあるテレビに対して、新しいメディアでじわじわと逆襲させてもらっている――ちょっとだけそんなつもりでやっています。(笑) 最近の配信では自宅のこたつで好きなことしゃべったり、好き勝手やらせてもらってます。ゲストをお招きすることもありますが、来ていただくのは私が会いたい人やずっと繋がっていたい人。表面だけのつき合いは、私にはもう必要ありません。 ほかにも嬉しいことがありました。崖下で血を流している時、『週刊文春』から人生相談連載のオファーをいただいたんです。「やった!」と思いました。誰もができるわけじゃない、経験を積んできたからこそ声をかけていただけた。 毎回、相談文を前に頭皮から汗を出しながら必死で回答をひねり出しています。オチまで考えなければいけないので難しい!おかげで頭が錆びません。いい時間です。 これまで何度も仕事に幕を下ろそうとしました。でも、気づいたらぴょんとまた上がっているんです。今回も、「あなたならまだいけるわよ」と言っていただいたようで。やっぱり仕事が好きなんです。幕を下ろさなくてよかったなあと思います。