【「ブリッツ ロンドン大空襲」評論】9歳の目線で都市を彷徨う、マックイーン作で最も親近感に満ちた物語
ターナー賞受賞の芸術家にしてオスカー受賞作の監督でもあるスティーブ・マックイーンの映画はいつも、我々が知る由もなかった人物の体験や内面を深く掘り下げる。それは人間としての想像力と共振力が試される旅のようなもの。「観る」以上に「巡る」「潜る」という動詞がふさわしい。奇しくも今月末公開となる監督作「占領都市」(2023)が大戦下のアムステルダムに思いを馳せながら都市を彷徨うドキュメンタリーなのに対し、「ブリッツ ロンドン大空襲」はロンドンが経験した絶え間なき爆撃の日々に身を浸し、時折ディケンズ風の趣向を加味しつつ、9歳の目線で駆け抜ける劇映画に仕上がっている。 主人公は当時の英国王と同じ名を持つ、褐色の肌の少年ジョージ(エリオット・ヘファーナン)。父は彼が生まれる前に国外退去させられており、軍需工場で働くシングルマザーのリタ(シアーシャ・ローナン)と祖父と共に仲睦まじく暮らしている。やがてドイツ軍の空爆が激化する中、ふたりは愛するジョージを安全な場所へ疎開させようと決意。だが、母と一緒にいたいと切望する彼は列車から飛び降り、一路、住み慣れたイーストエンドの我が家をめざし…。 場所から場所へ、人から人へ。戦時下のロンドンがリレー形式で点描されていく。つい先ほどまで当たり前のようにそこにいた命が不意に失われ、頑強な建物がいとも簡単に瓦礫と化す現実。そんな生身で剥き出しの体験に加え、これは少年の精神的な成長を描く物語でもある。とりわけ高級店のショーウィンドウで、自らのアイデンティティに関する漠然とした気づきが芽生える場面には胸迫るものがあり、アフリカ出身の防空監視員との間で育まれる絆もまた、ある意味で父代わりのような忘れ難い温もりをジョージの胸に刻む。決してありきたりな戦争映画でなく、かくも揺るぎない視座から社会や文化や歴史を見つめるところにマックイーンならではの思考と創造性が際立つ。 特筆すべきは、やはり真っ直ぐな瞳で主役を担ったへファーナンの素晴らしさだろう。そして息子への愛情に満ちた母親役のローナンも物語に筋の通った力強さをもたらす。彼らの存在感と生の輝きがあってこそ我々は本作にじっくりと身と心を委ねることができるのだ。同時に思う。映画は世を写す鏡でもあると。今この瞬間、世界の戦地でジョージやリタに似た人々が肩を寄せ合い耐え続けている状況をも、本作は暗に指し示しているのかもしれない。 (牛津厚信)